刀 剣 五 行 論      森岡南海太郎朝尊 著 (訳:黒岩重人)



刀剣五行論 上

 木性第一
 火性第二
 土性第三
 金性第四
 水性第五
 五色の変

刀剣五行論 下
 鍛の法
 焼刃渡の事
 造刀心気の法
 武用の事
 荒研の事




夫刀劍者、治國爲家守護。上從朝廷、下至衆民、頂刻不放於身、爲其用、兵器第一也。從天目一箇神至今日、有傳而造者、鍛錬之法、斯利倶梅儺波曵結界、退怨神、滿心神天地、載五行之神徳、悟金火水土之利、身被炭灰、面色浸汗、鬢髪□々、淨服破散火、身體如異仙、朝暮忘飲喰、工夫練行猶久、其術或得微妙者、威名廣赫天地、如不得妙利、人意無知、至數百年後、或國不知、或洩銘鑑、生前爲何修身、盡心學業哉、余爲之、欲先使明五行之利、綴此二冊、分乾坤□木、傳後世。
   嘉永三年庚戌三月
                          南海太郎朝尊 印



 そもそも刀剣とは、国を治め家の守護となるものである。上は朝廷より下は一般の庶民に至るまで、このことは深く心に刻み込んで、決して忘れ去ることがなかった。その刀剣のはたらきは、武器としての第一のものであったのである。
 天地の始まりより今日に至るまで、これを伝えて造ってきた者がいた。
その鍛錬の法は、しめ縄を曳いて結界をつくり、怨神を退けて、精神を天地に満たし、五行の神徳を載せて、金火水土の利を悟る。身は炭灰をいっぱいにあび、顔面は汗に浸され、頭髪は乱れに乱れ、浄服は火の粉に破られ、身体はまるで異仙にあるかのようで、朝から暮れまで飲み食いを忘れ、久しき間、工夫を練ったのである。
 その術の微かにして神妙なるを得た者は、威名は広く天地にかがやいた。だが、もしその妙利を得ることができなければ、人意には知られることもなく、数百年の後に至れば、ある場合にはその生国もわからなくなり、またある場合には銘鑑からも洩れてしまう。これでは、生前何の為に、身を修め心を尽くして業を学んできたかわからない。
 私は、このようなことから、まず五行の利を明らかにさせようと、この二冊を綴り、乾坤の二巻に分けて印刷して、後の世に伝えようと思うのである。

   嘉永三年(一八五〇年)庚戌 三月
                          南海太郎朝尊 印


  刀 剣 五 行 論  上 


    木 性 第 一

 木は、土に養われて生ずるものである。炭に焼き、これを用いて火を養うので、剣を造るのに用いるのである。炭に焼く木は、栗・松・馬酔木・躑躅などである(その外にもいろいろある。竹の炭もある)。焼き方には、坪焼きという方法があり、また窯焼きという方法もある。
 坪焼きというのは、地面を六尺三寸四方、深さは二尺位に掘って、下に丸太を二本敷き、上に切木を割り身を下にして積む(細い木は丸のままでよい)。積んだ木の下と敷いた木との間に、枯れ木や柴を置いて火をつける。柴や枯れ木から燃え上って、火がつく。煙の上る具合を見て、積んだ木の上に木の枝葉を積み、蒸して焼く。燃えかげんが十分に燃えた時分に、土を細かに小さな砂のようにして、上にかけて蒸し消す。火が消えたら土を除けて、炭を堀り出して取る。もっとも坪の堀り様には、定法は無い。少し焼く時には、坪を細く掘る。
 また、窯焼きの事については、窯は形を丸く築き、差し渡し五尺位、高さは八尺位にして、天井は無い。下に幅一尺五寸・長さ二尺の窓を明け、火を焚きつける所とする。これも下に木を二本敷き、その上に切木を積み、下の窓より火をつける。その所には、前にみたように、枯れ木・柴を置いて燃えつくようにする。火がついて煙が上るのを見て、次第に窯の上に木を積み上げ、その上に枝葉を置いて蒸し焼くのである。充分に焼けたのを見届けてから、下の窓を石を積み土を塗って塞ぎ、風気が少しも通らぬようにしておき、窯の上より土を掛けて火を蒸し消す。その日の夕方に火を留めて、翌朝、下の窓を明けて炭を掻き出すのである。以上が鍛冶炭の製法である。
 堅炭の窯は、山の前方が低く後方が高くなっている所を八・九尺四方に堀り、深さは六尺位にして、前は両法石垣に築き、幅二尺位、端を六尺位に中高に木を立てて、その上に柴を並べ、その上にねば土を厚く置き、棒で無理無残に打ち固め、十分のべて塗り付けて中高く山なりに築く。上に屋根をこしらえ、茅葺きあるいは藁葺きに葺けば、この窯はよくできたものであれば、二・三年は使用できる。
 前の入口には、柴・枯れ木を置いて火を焚きつける。火が燃えつけば、前の入口は石垣を積んで土を置き、少しばかりの風穴を残して留めるのである。窯の奥下より細い穴をつくっておいて、上に煙が上るようにする(この穴を、弘法大師の伝では大師穴という)。この穴から上る煙の色を見て、火を留めるのである。この窯は、火を焚きつけて三日程燃えるのだが、その煙の色はある場合には黒く、ある場合には浅黄、あるいは白、あるいは水色など、いろいろな見方がある。それについては口伝。中の火の燃え具合によって、煙の立ち具合が替わる。その煙の色によって、火を留めるのである。
 このようにして松を焼けば、堅炭ではあるけれども、切り壊して鍛冶にも使われる。樫や楢の木等は、堅くて鍛冶には使われない、焼刃土に用いる炭は、樒の木(花柴ともいう)・馬酔木・栗の木・桐の木等である。


    火 性 第 二 

 太陽は、火である。この地より見れば、日と名付けて尊び、その形はちょうど卵形の「世界の図」のように目にうつる。火が燃えているので、人の住む所ではないと言われている。この火気を受けて、この地にも、寒暖・春夏秋冬の位がある。陽気にしたがって五穀も熟すのだから、五行の君主は火である、とも言うのである。
 この火を移して取る方法がある。これを天火という。また、檜の木の台に檜のろくろを用いて揉む時には、黒く焦げて火が燃え上がる。これを取り揉み火という。石と金とを打ち合わせて火を取るのを、石火という。
 火は木に養われて、金を剋し、水に剋されるものである。剣を造る時には、堅い鋼も鎔けて湯になる事が自在である。だから、剣の鍛の利鈍は、作る人の術なのである。
 書にこのように言っている。「火を発するは時に有り、火を起こすは日に有り。時とは天の燥なり。日は箕・壁・翼・軫に在るなり。およそこの四宿は、風の起こるの日なり」と。火を起こす場所は、燥いた所を第一とする。水気を嫌い、陽の地を求めるから、水の近くには鍛冶の場を求めない。


    土 性 第 三 

 世界は土の固まったものであり、その形は丸い。これを地と言う。外部は潮に包まれており、その高く出来ている所を地という。その大きいものを国といい、その小さなものを島という。人間は土の上に住んでおり、五穀草木に至るまでみんな土に養われて生きている。だから、土よりも尊いものは無いのである。
 土が広いのを大国をいい、小さいのを小国という。国を治める仁者は、年々に地鎮祭と言って土の神を祭る。金は土から出てくるものであるから、剣を造るのに土を用いれば、金を養い火を防ぐものである。
 焼刃土には、京都の土が第一である。粟田口・深草・稲荷山・楽・九條等である。古備前は印邊器物に造る土を用いる。色が赤く、その他は国々で器物焼き物に成る土であればよし。
 焼刃土の調合は、派によっていろいろ方法がある。炭を用いるは、場に入れて土が落ち去ってしまう場合に、火気が場の中において、炭のはたらきで気を吹き祓って、土を留めるようにするためである。石を用いるのは、堅く締める為の法である。合わせるのは、石・土・炭の三つである。升に量り合わせる方法もある。秤に掛け合わせる方法もある。あるいは土一升に石一升、炭五合というのもある。また土百目・石五十目・炭五十目というのもあって、一様ではない。伝によって相違がある。用いる石は、荒砥・伊予砥・名倉等がある。   

                                       
    金 性 第 四 

 金は、土の中にあるものである。故に、土に養われて生ずる。金を製る時は、剣を造って国を治めて、武器としての第一のものとなる。古人はこう言う。「武器というものは凶しき道具ではある。しかし、やむおえざる時にはこれを用い、悪を誅して患いを去って、天下が治まるのである」と。金で鎌や鍬を造って、これで山海の生業がしのぎやすい状態にあればこそ、鐵と呼び下したのであって、この金が無い国にあっては、至って尊ばれたのである。
 鋼も「ずく」も、くろがねは総て鐵と言う。これを作るときには、砂鉄という物がある。その色は鉄の色で、粟つぶのようである。都の近くにも、大和生駒山に有る。昔は播磨の千草山が第一であった。今は砂が尽きて悪くなってしまった。千草山・鍵拭山などにも、鉄は製する。石州出羽大内野上・伯州印賀・奥州南部などである。砂鉄は、山にも有り、浜にも有るが、山より出るのは鋼が多く、浜より出るのはずくが多い。これを製するには、山の谷川の水に洗い流して、集まった物を取る。また山を堀り崩して川に流して、砂を洗い取る方法もある。浜の砂は自然にある。右の砂を集めて溝を堀り、船を造って溝に伏せ、川の水を仕掛けて、溝より舟の中に水を通し、この舟の一方は高く一方は低くして、水上より砂鉄を流し、舟の中にで砂と水とを洗い分け、石土を取り除いて砂鉄ばかりを取るのである。
 窯を築く方法は、鋼の窯は長さが九尺、幅は一尺であり、上を広くして扇の形に造り、高さ九尺(もっとも窯には大小がある)、三十六の気穴を開けて風気を洩らして風の通いをよくする。火の起こりをよくする方法である。左右にたたらを置いて風を踏み出だし、たたらに八人、炭や二人、かこま二人、かこは砂鉄をとる。すみやは炭をとる。以上十二人で三日三夜を吹く。鋼は巖のようになって窯の底に固まり、ずくは湯になっているので、窯の両端に穴を開けてずくの湯を流し出す。ずくは鍋かねの事、右三日三夜を吹いて出金という。この時に窯を砕く。窯の底に固まっている鋼を、鉄のかぎで池水に引き入れ、金の冷えたものを取り上げ、鉄の大鎚で打ち割る。この鎚を玄翁ともいう。目方は五・六貫目である。鋼は折口を見て、上中下の等級を定める。
 鉄の窯は、長さを七尺に造る。また丸窯もある。形が丸くて差し渡し四尺もある。五尺の物もある。  
「ずく」の窯は、鋼窯の通りに吹いて、ずく湯になったのを流し取る。底に残った物は鋼になる。これを「けら」という。鉄はずくを製する。ずく一貫目位を一吹きにしてふいごに掛ける。火の内ほどの造り様に、伝がある。ずくの吹き方にも、伝がある。ほどというのは、ふいごの風口が上がっているのも良くないし、下がっているのもよくない。ちょうど良い具合にできているのを、これを「ほどのよき」というのである。風の当たり、火の当たりによって、鉄に甲乙がある。ずくは、鍋につくると至って割れやすいものである。鉄に製すれば、至って柔なるものである。出羽・伯耆・千草等も、山の出口によって性気の違いがある。シナより渡ってきたものに瓢箪鋼・南蛮鉄・同じくずくがある。この性質は、日本のずくに類似している。鎚の当たりは堅いけれども、焼刃の上は、至って和らかなものである。 
 また、おろし鋼という物がある。出羽・伯耆の打碎柔目白とも言い、豆ともいう。また鉄の切り屑、古釘の類にもよろしい。これも火の内ほどの仕様に伝がある。火を起こして炭の上より屑鉄を置き、火の燃えるに従って下にさがり、炭の下に溜まって固まって集まる(ふいごの吹き方、風口の上下に伝がある)。あるいは鋼に成り、あるいは鉄に成り、あるいは湯に成る。湯に成る時には、元のずくに同じ。右火の中に集まって固まったものを取り出し、一寸角位に打ち延ばして、焼いて水に入れ、冷えたのを取り出して打ち折って見れば、折口が雪のようになっていて鋼に成るものもある。また折れずして鉄に成るものもある。折口が雪のようで出羽・伯耆の折口のように見えても、鉄山のさげに掛かり、また二度下したのであるから、鋼の性質は和らいでおり、やすりにはならない。おろしかねは、目方が五百目より一貫目位までである。始めの柔金の目方は、多くの場合は金が悪く、六・七百目位までがよろしい。  
 またずくを製するには、始めより火の内炭の下に置き、上より炭を掛けて吹く。一度わき下ったのを取り上げ、二度炭の上より吹きおろして、わき下って下に溜まったものを取り出し、延ばして水にいれて冷やして取り出し、鎚で打ち折ってみれば、これも鋼のように折れる物もある。鉄のように折れない物もある。


    水 性 第 五 

 太陰は、水である。この地より見れば、月と名付けて尊び、形は丸くてちょうど卵形の「世界の図」のように見える。山川広土があって人が住んでいる、という説がある。外側は潮に包まれていて、この地に似ている。 
 我々のこの国においては、天より降るものを雨という。雪・あられ・氷も水である。大洋にも水がある。地より湧き出る場合もある。山に寄っては岩瀧より出るものもある。水は清浄にして強く、剣を造るには地より出る水を用いる。剣を火に焼いて水に入れれば、金は火に剋され、火は水に剋されて、冷えた時剣の刃が堅くなって切れるようになる。土より出る水を用いるので、土によって水に善し悪しがある。上等な水は軽く、悪水は重い。また、寒暖によって善し悪しがある。
 この国の京師は、北極地三十六度という説もあるが、正しく測ったところによれば、三十五度と少しの余りであって、三十六度には足りない。十一月の冬至を以て暦の始めとし、子の月と定めるのである。この時に太陽は南極の地の上を行き、赤道より南へ二十三度四十六分を通る。だから、この地は太陽が遠くして、陽気が薄い。寒冷にして雪霜降水も凍り、地気は乾燥している。そういうわけだから、水気は強いのである。
 これより始まって太陽は北に寄り、二月の春分には太陽は赤道上を運行して、半昼半夜の時になる。したがって、寒暖・陰陽がそれぞれに位を得るので、水気の一番よい時である。古作にも二月八月とは銘打の事が多い。
 春分より太陽は赤道より北を通り、北極の地の上を行く。五月の夏至(前の四月分は潤気が多い為に、水は和らいで弱い)になれば、太陽は赤道より北二十三度四十六分を通行するため、この地は頂上に近くなる。故に、地気は陽にむせて沸き返るようである。水は至って弱くなる。
 焼刃にも冷水を用いる事がある。夏至より又太陽は南に行き、暑中も水は弱い。立秋七月には、少し草木の葉を枯らす。地気も燥き心がある。故に水は少し強くなり、秋分八月には、二月と同じく太陽が赤道を通る故に、水は強い。しかしながら、春の二月は日が昇るので陽気が和らかであり、草木も花開いて潤気が多いが、秋は草木も花が散って、紅葉して葉を落とし、枯野になって淋しくなっているから、天地は乾いて水も鋭くなる。これより九月の末に至り、十月になれば、梅も桜も帰り花が咲く時節であるから水もまた少し弱い。十一月は元のようである。


    五 色 の 変 

〇青色について
 剣は、刃は白く地は青いものである。その青い色に、五つの変化がある。地の鉄の拵鍛も、甲乙によって五色の変化がある。
 底より澄んで冴えているものは青い。底が青く上に浮き上がっているように白いのは、上作である。伯耆鋼は、地の色が青黒く、刃の色が青白い性質である。鉄の性質が心が強く、鍛が澄んでいるものは青い。肌が青いのは、今考えてみるに、銀を鍛え入れたものもあったであろう。銀は白い者であるが、鍛え入れて研きぬぐいをいれると青くなる。また、ずく鎌・鍬の古鉄等を鍛入れても、地肌は青くなる。
 古作では、刃の色が底が青い物は、三条宗近・粟田口派・来派・平安城派の物など、これらの中によくできたものには、刃の色が底が青く見えて、上が浮かぶように白いものがある。あるいは薄氷のように、真の底から澄んで冴えている地刃の位は、遠くて測り難い天を見るようであり、深くて見え難い淵を見るようである。底より水色の潤いが有り、錵は笹の根元に霰の降りかかったかのようである。古備前にも、このようなものが有る。応永康光の一派がそうである。その他の時代のものにも、刃色が底青く上が白い物が有る。地肌にも、出来具合によっては青い色が有る。青江派の物には、刃の上地に青黒い色変わりした所が有るものが有る。俗になまず肌とも言う。正宗・則重には、渦巻きのように青い肌に錵の交わっているものが有る。月山・盛高・波平等にも、青い肌のものが有る。他に地鉄の剛弱が相い交わった性質に依って、青い肌のものが有る。また、求めて肌に金銀を用いたものも有る。秋広・冬広等にも、底が青く見えるものが有る。古関野の一派にも多い。関は、青が澄んで性質が堅く見える。藤島の一派に、青いものが有る。慶長の後の作にも、京の初代吉道・正俊等がある。

〇黄色について
 地鉄一面に錵があり、錵の色が上は白く底は金の色に見える者が有る。鉄の性質は心が強い。地は皆錵で黄色になる。梨肌のように、金の砂子を蒔いたようになる者、肌に黄色が有る者がある。鍛に法がある。
 古作では正宗・義弘等、地と刃に皆錵があって・色は上が白く底は金の砂子を蒔いたかのようである。地鉄は底より澄んで、寒夜の星のようであって、言葉には尽くし難い。粟田口國吉・國綱・相州の行光などは、梨肌さくさくとして小さな砂を蒔いたようであり、みな錵て黄色の心が有る。金重・兼氏・保昌五郎などは、肌に錵が交わって黄色になっている。その他に京物・鎌倉物等の類には、よく出来たものには、皆錵てざくざくとして砂のようになるものが多い。鉄の性質は、心が強いものであり、皆錵である。
 慶長の後の作にも、國弘・眞改・助廣・忠綱・繁繼・照包等は、上は白く底は金色の光が有って、錵が多い。鉄の性質は、心が強い鍛である。

〇赤色について
 赤州の出羽鋼は、もともとの性質は赤い心が有り、鉄山の仕掛け折口も自ずから赤い。剣に造っては、地刃・錵ともに、あるいは黄色、あるいは赤味の色が本性として生まれつき有る。シナから渡ってきたものの瓢箪鉄・南蛮鉄・同ずく等も、自ずから本性として赤味が有る。出羽のずくに似たものである。
 古作においては、古備前、その他石州の直綱の一派など、地はざくざくとして梨目の心が有り、地錵に赤い色が有る。正宗の一派に、地に稲妻といってかぎの手のように光がある物の肌に似ている。あるいは、黄・赤の色が有る。また赤黒くて紫の色が、雲のようにむらむらと有る。肌になっているものも有る。後の作には、銅を鍛え入れたものも赤い。これは下作である。

〇白色について
 伯耆鋼は、本性は白いものである。刃の色は白く、地の色は青黒いものである。鍛の術に依って替わることがある。長船派には、古備前より伝来の晒鍛といって、鉄を火に晒して白くする法が有る。又ずくを製したならば、その地肌は白い。おろし鋼も、地肌が白い。おろしかねは、自ずから鉄の性質が弱いので、さらりとしてさえず、うっとりとして雪のようには成り難い。おろし鉄は、一度鉄山の下げに掛かり、くずとなった品を今二度吹きおろす為に、その本性は柔らかであり、その故に地・刃ともに真の底より澄んで冴えた色には成り難い。
 上作は、皆刃の色が雲のようである。その白い中にも、あるいは真の底より薄氷であるかのように(宗近・粟田口・来・平安物に有る)白い。
あるいは底は青く、上は浮き上がったように白い(古備前・青江・秋廣・古関に有る)。あるいは底に黒味が有って、上が白い。
あるいは底が青黒く、上が白い(来・関・北国物に有り)。
あるいは赤味が有って上が白い(直綱一類・助廣・正廣に有り)。
 錵もまた鉄の性質が強いものは、底に金が砂子のように光って上が白い(吉光・正宗・義弘一派・國弘・眞廣・助廣・忠綱・照包に有り)。
あるいは底が寒夜の星のように光が有って、上が白い(文武兼備の良刀に有る)。
あるいは鉄の性質が強く鍛え練られない物は、底が黒くして上が白い。
あるいは、上にはらはらと浮いたような錵は、鉄の性質が弱い。肌もまた、ずくおろし鉄は白い。
 吉光・正宗・保昌等に、上出来物には白髪のように、その底より透き通って白い肌が有る。最も優れた一派にも有る事がある。あるいは、晒白糸のようなものは、京・大和・備前・相州の上作に稀に有る。康光・盛光には、真っ白な肌の有る事がある。肥前物には、刃の上地に白雲のようなうつりが有る。また雲影のようになるものも有る。
   
〇黒色について     
 地が黒いものは下作である。五行の理に明るくないので、刃の色を知らないからである。あるいは、鍛錬の術を知らず、利鈍の甲乙は、地鉄の拵えの調合に有る。あるいは、火の内の暖かさに有り。あるいは、五行の養いに有り。だから、金木火水土の理を悟ると言うのである。この理を悟らないが故に、刃の色も黒く、地の色も黒い。
 古作においては、北国物に有る事がある。もっとも研の善し悪しに依って違いが有る。肌には則重・月山・波平等に黒く影のようなうつりが有る。また丁字になって焼きの上より移り登ることも有る(雲次一派に多い)。末の祐定までも、黒くうつりの心が有る。備中青江物にも有る。青江は刃の上地に、黒い所が有るものが多い。俗になまづ肌とも言う。古大和にも有る。則長末の作には、焼きの上に棒うつりのように、黒く影のようになるものが有る。関物には、地色の黒い物がある。
 新古ともに、底が青くして上が黒いものは、鉄の性質が堅い。底にうっとりとして上が黒いものは、鉄の性質は弱い。底が黒くして上が青い物は、鍛に錬ざる物である。慶長の後の作にも、銘家の末に至っては、伝を尊んで業を学ばない。だから黒い物が多いのである。
(刀剣五行論 上 了)



 

  刀 剣 五 行 論  下 


    鍛 の 法  

 昔は、箸鍛が多かった。目方の七百目ほどを一鍛にして、長さ八寸ほどの角材に延ばし、その一方を箸で挟んで、三半分の所を真ん中に鏨金で一文字に切り、折り返して煖す。角材状に延ばしてまた一方を取り返し、前に挟んだ所を鏨を以て一文字に切って折り返して煖し、また真ん中を二つに切り返し二つ重ねて煖す。板にひらためて板を二つに割りたたんで煖す場合も有る。縦横の鍛えである。
 近年はてこ鍛えと言って、五・六分角に長さ二尺位のかねを、本の方の四寸ばかりを丸めて縄を巻き、この所を握る。その鉄の先をひらため置き、鋼を厚さ三歩位にへして水折して、てこの先ひらためる所に積み重ねる。(目方は百五十目から四百目)その多少は人々の心に任せ、大鍛はよくない。以上のようにしたのを積み重ねて煖し延ばして、横に鏨金を以て切り折り返すのを、一文字鍛という。また縦に割りたたみ煖し、一度は縦、一度は横にするのを、十文字鍛という。
 煖しには、あるいは土を付け、あるいは藁の灰を付け、あるいは小さな砂を付け、あるいは研の汁を付け、あるいは土・灰・砂・研汁を付けないでそのままの状態で煖す方法もある。あるいは塩をつけて煖す方法もある。
 鍛の数は、一度も折り返さないのを「一鍛も加えず」という。一度より二十一度まで有る。永祿年中の伝書には、三十一度までと言っている。正応伝には、遍数は鉄の剛弱に応ずるとしている。多少に限らず堅い鋼は数遍鍛え、柔である鋼は遍数は少ない。地金は、出羽・伯耆・千草・ずく・おろし鋼、外国から渡って来た物は、瓢箪鋼・南蛮鉄・南蛮ずく等である。
 造法は、剣の一尺以下のものは、丸鍛であってもよろしい。一尺以上のものは、真金という物をこしらえて中に入れる。これは、剛と柔とを兼用するのである。折れ曲がりを留める方法である。真の三枚造というものは、中に刃に成る鍛鉄をまん中にして、両平は肌金を入れて鍛に和らか、成鋼に成して三枚合わる。両平金にあるいは肌金、あるいは弱鉄があるが故に切れ味は鈍い。したがって真の鍛金を中に入れるのである。よく切れる為のやり方である。両平の弱鉄を以て、折り曲がりを留めるのである。
 また、付けまくり鍛えというのは、鍛をあるいは幅二寸長さ三寸厚さ三分位にして、また同じ幅・同じ長さ・同じ重さの真金をこしらえて二枚重ね、真金を下にして上に重ねた刃金を、先二分ばかり出して重ねて煖す。打ちひらめて幅を広くし、真金を内にしてたたみ、外は刃に成り、包んだ真金は中に集まる。ここをわかし延ばして、たたみ目を棟にする。
 甲伏造というのは、以上述べた鍛鉄を幅三寸・長さ三寸位にして厚さは二歩位、これを竹の樋の形にして、笛の半分の様に作り、その中に真金を入れて合わせ、真を包むようにして煖して延ばす。これを真の甲伏という。合わせ目を棟にして火造する。たとえば二尺三寸の刀であれば二尺一寸位に延ばして、これより小槌を用いて刃の方を薄く鎬を立て火造する。形象を作って粗削りし、荒研押焼刃を渡すのである。
 この他に種々の造り方があるが、ここでは、そのあらましを記すことにする。俗説に、「古作は一鍛を加えず」ということが言われている。正宗は地肌が多く砂流・稲妻等が有り、地はさらりとあらめであるから、一度も鍛しないように見えるものである。しかし、これはそうではない。出羽鋼も鍛えるし、伯耆鋼も鍛えるし、ずくも鍛え、おろし鋼も鍛え、南蛮鉄も鍛え、金も鍛入し(金は白くもなり、青くもなり、紫にもなり、黄にもなる)、銀を鍛入(銀は青い、また黒い)する。以上のいろいろな鍛鉄を集め重ね、合わせて煖する。これを束鍛という。束はつかねて集まってきた形である。だから色が替わり、鉄が多い。ある場合には白く、ある場合には青いのである。ある場合には黄金筋・銀筋・稲妻なども有る。砂流地錵梨子肌も有る。錵が一面にあって匂いが深い。だから、俗に見れば一度も鍛がないように見えるものなのである。当時に用いたおろし鋼を使って一度も鍛えずに造るならば、地鉄がざくざくとして、ちょうど古作の様な刀が出来るけれども、切れ味は良くない。少なくとも七〜八度より十四〜五度は鍛えて、この金を刃に入れて用いて良好になる。二十一度より三十一・二度の鍛は、地鉄が弱いように見える。鉄の性質の生死を悟って、鍛は強く見えるようにもなる。地鉄がさらりと見え、またざっくりと見え、また小砂のように見える。強鍛とは、一鍛も加えない場合から十二・三度までである。


    焼 刃 渡 の 事 

 剣は、火造りし粗削りして、形象がことごとく備わった後、荒研に掛ける。焼刃の時は金肌又は灰にまみれているから、清水でよく洗い、塩気と油気を落とす。塩と油は、焼刃にとっては忌む事である。
 土取りは、錵物は荒土・匂い物は細かな土になる。土へらで土を付ける。塗って双方をへらを使って落とせば、土の有る所は地になり、土の落ちた所は刃に成る。あるいは、金属のへらや竹のへらを用いる。細い形をつくって土を置く場合もあり、下に土を引いて竹のひごで置く場合もあり、上に塗って小刀で双方をほる場合もある。小刀でほる時には、引土をする。土取りをして火にあぶって燥かして焼くのである。
 焼く方法には「ふいご」で焼くこともあり、火を起こしてうちわであぶり焼くことも有る。棟方・刃方より火をかける。火取りの色は、朝・日中・夕・夜の火の光によって色を見る。日中に戸を閉めて暗くして焼くのは、火色がよく見えるためである。桃色であったり、山鳥の尾の色であったり、薄紅色であったり、燈火の色であったり、白であったりするが、皆鉄の強弱に応じて焼くのである。焼いて湯に入れる。
 湯加減は、ある場合にはぬるみ、あるいは水際、あるいは手引き、あるいは冷水など、鉄の剛弱・四時の寒暖の気に応じて用いる。焼いて湯に入れる(この時、心気は気界丹田に納め、勇士が敵に向かって太刀の柄を把り、白刃を以て先鋒を争って勝負をするようなもので、片一方の手には鞴を把りもう一方の手には焼き太刀の箸を把り、目にも、左右の手にも、足にも、鞴にも、焼き剣にも、火の内にも、湯にも、少しも心は留めず、業は静かにして術は早く、心を以て心に働き、火の色は稲妻の光を見るようである、というのが眼目第一のことである。) 冷やした焼き太刀を荒研に当てて焼刃を見て、堅い剣は、また火の上であぶって刃味のかげんをよくする。和らかな鉄の性質であっても、冷水と焼き詰めることはよくない。少しは暖まりを入れるのがよい。
 俗説に、石堂一家其の外丁字・菊水・芳の川・打別浪等の焼刃には、薬焼というものがある。予菊水・芳の川・草字・梵字・日月・七星等の焼きには、人薬焼きというものもある。

 このように焼いても、薬は用いない。出羽・伯耆の上鋼を鍛え、土は石・土・炭の三品である。もっとも調合するには方法がある。薬は用いない。正宗の口授を左文字に聞き書きしたいう傳書がある。そのなかに、焼刃に薬を用いる方法がある。丹磐・逢砂・消滑石などである。私は慰みに用いて造ったことがある。

 このように焼いて、地刃は皆錵であって光があった。しかし目利きの者の中に、薬を用いたのだろうと云った者はいなかった。このことからすれば、目利きの論と造る者の心得とは、大いに違うものである。思うに石堂一家も、薬を用いたのではないだろうか。
 俗説に、火を高温にして焼くと錵に成り、低温で焼くと匂いになるという説がある。これは、大いに間違っている。錵や匂いは鍛によってできるものである。火を低温にして焼いても、地鉄はさっくりとして、梨目のように鍛える。地の錵は鍛によって出るものである。火は低くしても地は皆錵に見えるものである。匂い鍛に無理に火を高くかけても、地の錵はない。刃ぶちもむらになり、かく錵になる。錵の有る所も無い所もある。錵が角立って喰付けたものを、これをなま錵という。このようなことから、五行の利が理解できない者は、上刀を作る事ができない。この利を悟る時は、錵匂の鉄の拵鍛の術は明らかになるであろう。


    造 刀 心 気 の 法

 気と心の置き所は、気界丹田におさめる。鍛の床においては、貴人が来たときのように礼は正しくし、位は、不当位に当たる時は白昼であっても闇のように暗い。彼が神であれば、我もそのまま神である。天地はそのまま我である。我は則天地なりと、心神が一つになる。そして、臍の辻より二寸下った所を気界という。この所に気を集め、迷いを解き放つならば、その時には則ち神である。このようにして造った剣でなければ、天下の禍いを除くことはできない。
 梵語ではこれを不動という。「不動」とは、うごかずと云う文字である。動かずというは、木か石かのように手も動かないのであるから、何の所作もすることができない。それでいて、前後左右十方八方へ心は動き渡るように動いて、心の行き先に留めないことを「不動智」という。心は我が身に有りながら、よそに働くことをいう。右の手には剣を把り、左の手には縄を持ち、眼を怒らせて石上火の中に立って居る。この様な姿こそ、世界に活物は無い。姿は悪魔降伏の有り様である。この事の真理は、火の中に立って居ても少しも心が動かないという事である。一心が正しく定まって動いて動かざる、物事に動顛しないところを、不動と名付けた事を悟り、心術は常に学ぶことが大切で、それが必要な時に至ってしまってからでは学ぶ事ができないものである。
 二百余年の太平が続き、鎗・戟は宝庫に蔵され、炮弓は袋に納められ、旌旗・甲冑は櫃の守りとなっている。剣は、箱に納められて刃は血にまみれず、抱鼓の声は猿楽に聞こえ、能や謡と舞踊り、美妾を求める者は千金を費やし、楽しみ余る世の中であっても、治乱は自然の運命であって、晴雨の如きである。龍雲が起これば雨が降るというのは、時に過ぎない。治まっている御代のその中にも、智・仁・勇は、士たる者の常に心掛けなければならないことであって、兵乱の患いはしばらくも忘れることがない。心気の法を常に嗜む者は、百万の敵に当たっても恐れない。たとえ正宗の太刀が、昔の呉の名工が作った名剣の切れ味だといっても、その太刀を持つべき人が持つのでないならば、何の効果も無いものである。  


    武 用 の 事

 刀の切れ味は、堅からず和らかからずがよい。名倉研に当たって、刃が少しまくれる様に、鍛えを第一に心得て造る。少し刃帰りする剣は、能く切れる。荒砥伊予研に、刃帰りして地刃同様に柔らかであるけれども、剣は、生き身ならびに藁はよく切れる。具足・鹿角・その他死骨・堅物は切れない。堅物を切るには、刃が強くて欠けない剣はよく切ることができる。刃が堅過ぎて荒研で鋸のように欠けているものが有るが、これは切れ味が至って悪い。上作は、堅からず和らかからず、刃がむっくりとして研あたりがよい。剣は、刃が堅く地は和らかになり過ぎるものである。刃は堅くして錬て、欠けないように鍛え、粘り気がある刃で研当たりもよく、地は堅く造るのが第一である。
 平を押せば撓むものである。棟打ちすれば、刃は切れるものである。刃が切れても、焼きまで切って留まるは使う事のできる刀である。強鉄ばかりにて鍛え鋼柔を用いないものは、棟打ちをすれば氷のようである。二つ三つにも折れてしまう。強弱を相い兼ねて造った剣は、皆焼が大いに乱れて鎬を越えて焼いたとしても、折れることがない。
 古刀の上作に、刃切れの有るものが多い。これは作った人の知らないことである。戦国時代において、打ち折れたものである。古作は、焼迄切れても留るのである。武用の試しにも、壮年の士の中には、勇気に任せて無理押しすることがあった。鉄を切り、石を切り、平を押し、あるいは棟を打つ等、身に過ぎたことをしたのである。これらは、道具を損ずるばかりで、無用のことであった。たとえば、兵法には通暁しているといっても、弓・鉄砲には対処することが難しいようなもの。だから、これらのことは、将師のなすべき事ではないのである。
 剣術は、打・掃・突の三種である。相手を刀と刀とで打ち合い、刃引きをやるようであれば、太刀の善悪を知っているものである。太刀の柄を把る時にも、堅く柄の砕けるように握るのではない。手の内にも陰陽の位が有る。私も、また幼年の時より兵法・剣術を志し、初めは万水流を学び、後には博く諸流派を学び、一旦且豁然として心の迷いが解け、一流を究めて名付けて気心流と号したのである。故に、刀剣を造る上では、折れることを嫌う、撓むことは是非も無いことである。撓まないものは折れる。だから、鍛に棟金という事をはじめたのである。棟金真金の鍛には、口伝がある。近年、棟金真金を鍛え始めてより、折れる剣は造らなくなった。
 相州の行光、備前の長光の刀を打ち折って見たところ、刃棟平より三十打ち程、金床の角に当て打って、ようやくねじ切れたようなって折れた。その折り口は、ちょうど数百の糸を束ねてねじ切ったようであった。折れ口は色が替わり、金の数はわからなかった。これは、とりもなおさず束鍛である。備前の景光の刀を打ち折って見たところ、これも金床の角に当てて小槌を以て二十打ちし、平棟刃より打ってようやくねじ折った。これは、刃金・真金・棟金・両平と色が替わって金が五つ有った。この鍛も、折れないことを第一として、武用を心得たものである。
 剣を造らない人の説に、錵物は、火を高温にして焼くと錵に成り、低温で焼くと匂いになるという者があるが、錵や匂いとは、そのようなことではない。鍛えには方法があるのである。
 錵物の鍛えは、地鉄はざっくりと梨目のように、あるいは地に小さな砂を蒔いたときのように、地一面に錵のように見える鍛法がある。このような鍛であれば、火を薄く焼いても、地は皆錵が見えるものである。この鍛は、火を高温にして焼くと火が戻って焼きにならない。刃先に糸のように入るだけである。これを火に剋されるという。
 匂いの鍛法では、火を高温にし焼いても錵は付かない。無理に高温に焼けば、錵は付いても、それはばらばらで有る所も無い所もある。ムラになってしまい、あるいは角の食い付けたはだか錵となってしまう。私が、江義弘・行光・左を焼直してみたところ、地刃は皆錵であった。火の高薄にはよらないのである。鉄の性質に依って、錵るものである。これらは鍛の業である。
 また剣を造らない人の云うことに、錵物は折れるという説がある。元和(一六一五年〜一六二三年)以来、京・大阪の末の者に至っては、折れ易い物が多い。この事から、古作の錵物であっても折れ易いと思う人があるのだ。相州の正宗一類は錵物を第一として造ったが、至って鉄の性質が和らかな鍛えで、曲がることはあっても折れる事はない。応永(一三九四年〜一四二七年)の以前の作においては、鍛の和らかなものがあるのである。私は、備前の康光・盛光の焼身を、一度は匂いに焼き、一度は錵に焼き、五・六度も焼いたところが、錵一粒も付かなかった。このことを以て、考えてみるがよい。


    荒 研 の 事

 研は、棟の庵を始めに押し、反すに応じてむらを取り直し、次に鎬の厚薄を揃えてむらが無いように研く。次に刃方たがね刃を付けて、次にひらを鎬と刃先を取り合わせて研く。ひらは、肉を鎬より刃先まで、むっくりと丸く置き、鎬は真っ直ぐに研く。平棟鎬を磨き、後に切っ先を研き、形象を見、むらを取り直し影を見る。
 石は、荒砥石は違いに押し、次に御子浜(大村を用いる)は違いに研き、次に伊予研は違いに研き、次に上券寺は一度は違いに一度は竪に、次に名倉は一度は違い一度は竪、次に内曇りは竪にとぐ。地研は鳴瀧(剃刀砥の事)は、刃を除いて竪にとぐ。刃はうちぐもりで竪に上研する。これより水仕立てになる。
 研の仕立ての事に、近来、地も刃も内曇りの上引きで塗りつぶした仕立てが有る。地鉄の性質は不明、ぴいどろのようにして鉄の目もわからない、肌有る物も無きものも同じようになり、目利きの善悪を失い、梨目・地錵もわからない。
 下研は、内曇りでよく研き、鳴瀧で地研きして、地は地つやといって内曇りの汁を付けない。錵の有るものは鳴瀧の上引きを薄くして、粟つぶのように砕き、指に付けて清水を付けるようにする。刃は、刃つやと言って曇りの上引きで和らかな石を見立て、十分薄くして刃つやをする。以上のようにしてぬぐいをすれば、地刃の鉄の性質はよくわかるようになる。肌ある物は肌が顕れ、艶のある物は錵が顕れ、梨目のある物は梨目が顕れでるのである。匂いができ、あるいはうつり有る物は、地つやは曇りの堅い石の上引きで地つやする。総て地つやは、内曇りの汁を付けない。清水ばかりですれば、よく鉄の性質がわかるものである。内曇りの研ぎ汁を付ければ、地どろで塗り隠して目立たない。刃づやは、曇りの上引き薄い石でつやをする。うつりは、上引き厚く石を用いて和らかに当たれば、うつりもよく見える。ぬぐいは、家々に家伝があって、いろいろな調合も有る。たとえつしま研ばかりでもよい。鳴瀧と油を浸しただけでもよい。
 研は青い物は青く仕立て、白い物は白く仕立て、黒い物は黒く仕立て、鉄を顕すことを第一とすべきである。これをこんたんして、あるいは肌を隠し、あるいは肌を出し、黒いものも白くし、青い物も白くし、地肌を出し、地肌を隠すのは、本心を失い人を迷わすものである。研の仕立ては、鉄の性質が顕れるようにする事が第一である。

  嘉永五年子(一八五二年) 六月
    森 岡 蔵 板



(底本には、昭和18年、二見書房発行、成瀬関次著『古傳鍛刀術』所収の「刀剣五行論」を用いた。)

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