藤野13号だたら (2008.3.16)

 
結果から言うと、22.6kgの砂鉄を投入して約4.4kgの収量でした。残念ながら4.4kgのひとかたまりのケラにはなっていませんでしたが、握り拳大の塊があったので、それだけでみんな大喜びでした。
また、途中の状況から塊にはなっていない可能性は高くても、何かはできていると確信はあったのです。ですから、小さな塊があっただけでも黒鉄会としては確実な進歩です。

それでは操業の様子を簡単に述べます。

前日の昼に炉の乾燥の開始。その時点で炉は完全に乾いていたので、火を弱くして、全体の温度を上げ過ぎて釜土が溶けないことを気を付けたくらいです。

翌朝、ほぼ朝の8:30くらいには炉に煙突を立てて炭を一杯に入れ、ブロアーで温度を上げ始めました。50分ほどで割ノロを入れると炎はわずかに赤みを帯びました。そしてやっと9:45に砂鉄を0.6kgずつ投入を始めました。
炎の色は順調でしたが、当時は風が強く、炎の形が読みにくい難点はありました。炉底温度をなるべく下げないように、ギリギリまでノロ出しはしないことを全員で確認していました。
しかし、やがて炭と砂鉄が落ちるのが極端に遅くなりました。ここで始業羽口から操業羽口に切り換えるのと同時に、第1回のノロ出しを試みました。しかし、ノロは粘い・・・。

でも、羽口を切り換えるとまた炎の色も安定し、順調に砂鉄と炭は落ちて行きました。
当然、ノロ出しをしていないので、どこかでやらなければ風が行かなくなることは目に見えていること。
それもギリギリまで待ちました。
とうとう操業羽口が詰まってしまい、羽口から鉄の棒で突くこと数回。
でも、ふしぎなことに炎色はちゃんと還元炎の色をしていました。

今回は乾燥は十分にしたのに、炉底を冷やしている原因がわからず悩みました。そして粘っこいノロは出て来ず、とうとう砂鉄はどうにも下りなくなりました。そこで1時近く、砂鉄投入を止めざるを得ない状況になりました。

炉を解体したのは3時。熱い炉の危険な解体作業を手順良くこなしていました。
やっと炉底の所に来た時に、
「何だこれ?! 地下が空洞だぞ!」
もちろんみんなで交替に見て、本当にびっくりしました。地下構造の灰床の炭が燃えてしまい空洞ができてしまっていたのです。

それが炉底温度を上がらせなくなっていたと考えられます。地下構造ってホントに大事なんですね・・・。

一体、この地下構造の灰すらしをしたのは誰だ?! 
かなりしっかり作ったつもりだったのですが・・・、ねえ、○○さん! でも、何を言えども言い訳だね・・・。

そして解体した煉瓦とノロの大きな塊の中に果たして何ができているか、何もできていないかと心配をしたのですが、とにかく炎の色が良かったので、何もできていないことはないと思っていました。ですから、小さな塊が出てきた時はみんな興奮して大声を上げました。

とにかく「訳がわからない失敗」ではなく、「訳がわかって次につながる失敗」だったのでかなり満足しています。
(もちろん西川さんから見たら、「そんなことで失敗しているのか」と呆れかえられるのはわかってますよ・・・。)

でも、とにかく「たたら製鉄は楽しい!!」

次の日に大野刀匠にも報告しました。地下が空洞になったと話したら、「私は何万回やってますが、そんなことは1度もなかった。」と。まあ、それは師匠がやる失敗じゃないですよね。
私は師匠に1つ質問、どのくらい送風量を上げて温度を高くするかの目安でした。1450度以上温度を上げないように言われても、それを炎の色と形で判断しなければなりません。そのコツがわからなかったのです。
師匠は
「炎が赤くなって砂鉄が再酸化しない程度に上げても良い。」
との明快な答えでした。



 

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