藤野14号だたら (2009.3.15)

 
今回の操業では、西川さんが提供してくれた鳥取県斐伊川支流の真砂砂鉄を使いました。今まで黒鉄会は千葉県の房総のチタン分の多い浜砂鉄を使っていましたが、西川さんが「黒鉄会もケラができたと師匠に報告してほしい」と、砂鉄を無料で提供することを申し出てくれました。2月、私たちを温かく見守ってくれていた大野師匠が亡くなりました。黒鉄会一同、ご冥福をお祈りいたします。

そこで炉作りの時にみんなに西川さんの意向を伝えて、ありがたく真砂砂鉄を使わせてもらうことにしました。しかし、恐いのが「それでも黒鉄会はケラができなかった」ということでした。釜土も今までと少し違う場所で採取したものです。NMさんが「でも、操業の日には大野師匠が来てくれるかもしれない。」と言うので、私もそれを期待することにしました。

さらにNJさんがわざわざ京都から参加してくれることになっていたので、ますます不安にはなっていましたが・・・・。

さて、当日もいろいろ操業中に迷うこと、悩むこと・・・・、いろいろありました。炉を解体していると、この中に何も塊がなかったらどうしようと、みな一抹の不安におそわれていました。

しかし、嬉しいことに30.1kgの砂鉄を投入して、5kgのケラとその他の細かい鉄を含めて合計8.1kgの収量を得ることができました。もう、ヤレヤレです。

羽口の切り替え、ノロ出しのタイミングなど、みんなで炎の色をきちんと観察して判断しました。ノロ出しは2回しかしませんでしたが、いずれもパホイホイ溶岩のように流れるノロでした。黒鉄会でこのようなノロがでたのは第1回以来です。その時も山陰の砂鉄を使っていました。

帰宅してからすぐに大野師匠の弟子、大和久伸介さんと西川さんに電話ですぐに報告しました。
砂鉄が真砂砂鉄だということがこんなに大きな要因だったと改めてわかりました。

でも、次回はまた房総の砂鉄に戻って操業をします。後は技術のみ・・・・。
さてさて、どうなることやら。



 

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