藤野6号だたら (2000.5.14)

 
 4/16の尾上さんの「小だたら操業」の説明を12時から1時半まで受けてから、黒鉄会のみんなで何と夜の9時まで話し合いました。しかし、話し合いは終わらず、再び4/22田無市の地区会館に集まり、午後5時-9時まで慎重に検討会を行いました。今回の村下役はUeさん。何と言っても慎重派です。方眼紙に実寸大の炉の設計図を書き、さらにそれに合わせて、ダンボールで型紙を作ったりもしました。炉の大きさがいい加減にならないように、炉を作るときに使うのです。
砂鉄投入の量は、西川さん(琵琶湖の鍛冶屋さん)のデータと、昨年秋に岐阜県関市の刃物祭りで大野刀匠たちが行ったデータを比べながら、自分たちの予定を決めました。そうそう、西川さんには本当にお礼を言わなければなりません。自分の炉の設計図を書いて参考に送ってくださいました。これは大変役に立ちました。ありがとうございます。でも、尾上さんの説明、西川さんからの情報、それに大野師匠の話し、実はわずかずつ違うのです・・・。これ、困っちゃいます、われわれ素人には・・・。でも、仕方がないので黒鉄会では、相談して取り合えず、それなりに決めたのです。

そこまで慎重に、相談をしました。


でもね、黒鉄会の失敗たたらがおもしろくてたまらないと、笑って喜んでくれる大学の偉い先生方がたくさんいらっしゃるので、今回もまた、笑っていただきます。「素人が集まって四苦八苦している」様子を楽しんでください。

早い話、ケラはできませんでした! でも、今回はとても楽しかった!



それでは詳しくご報告します。

5/7に炉底部分だけ作り、翌週の5/13(土)に炉の上部を作りました。その間にも必要なものを揃えるために、Ueさんからのメールが飛び交いました。また、Maさんは自力で炉に風を送る羽口にジョイントする覗き窓付きの筒を作ったのです。その日はたたら場のある畑にテントを張って、Ue、Ma、Sa、Na、Asはそこで寝ました。
5/14(日)たたら操業の当日は朝一番にMiさんがやって来ました。何と藤野駅に7時に来たのです。朝御飯を食べているうちに、Jさん、Shさんも現れたので、いよいよ9時に炉に点火。とにかく、今回は炉底温度を充分にあげることを第一に! 予定では2時間ほど経ってから砂鉄投入です。

透明な美しい炎が上がります。今度はうまく行くかなと期待の気持ちも燃え上がります。順調に温度も上がっているようです。砂鉄投入までまだ十分時間があるので、AsとMiは畑にある背丈ほどもある秋田フキの収穫に出かけたりして余裕余裕・・・?

ところが、あれっ・・・? Ue村下がいち早く炎の色の変化に気が付く。送風している下の羽口に鉄棒を突っ込むと何ともうノロができている。鉄棒の先にノロが糸を引いているのを見て、地質屋のNaは興奮。「ウワー!ハワイの溶岩みたいだ!」そうなんです。ハワイには溶岩が固まるときに糸のようになって金色に輝く「ペレの毛」というのがあるのです。これは噴火直後しか見られないもので大変めずらしいもので、火山の神様のペレの髪の毛と、その美しさを讃えています。
はい、興奮したのはNaだけではありません。Asもハワイに行ったときに噴火中の火口付近でやっとペレの毛を見て驚いたので、同じように興奮したのです。(これは後で、NaとAsの反省するところとなりました。)

ノロができてしまったので、外に出そうと思うのに、これが粘っこい。どうやっても出て来ないのです。予定通りに、砂鉄投入は2時間ほど経った11時頃に始めました。しかし、ケラの核らしいものなどできているわけがないのに、そのうちどんどんノロが貯まってきてしまい、羽口を切り替えざるを得なくなりました。さあ、これからが問題でした。覗き窓があるので、中の様子がみんな見えてしまう・・・、アア、上から落ちて来る赤いものが、次から次に冷えて黒くなる様子が見えてしまうのです。かと言って、ノロ出し口からノロを出そうと思っても粘くて出ない。困った困った。炎の色は濁ったオレンジ色になり、炉内の様子がおかしいことを暗示させている。仕方なく、出ないノロを鉄棒でガンガン叩く。コロコロと冷えたノロが出てくる。風が通るようになったので、下羽口からも風を吹き込む。煙突の上から入れる炭と砂鉄の落ちるスピードが回復したり、またダメになったり・・・、そんなことを繰り返していました。そこで村下は今回は砂鉄投入は予定の30キロを止めて、20キロでストップしようと判断。炉を壊して海綿鉄ができていたら万歳として、まあ、黒鉄会やり直したたらの第1回としてちゃんと反省しようと、みんなも気楽に考えていました。とにかく反省材料をちゃんと作ることが今回の目的でした。

1回目は吉田村から買った砂鉄と土で始めて土を張った炉で操業して、4キロほどの海綿鉄とズクができました。2回目は同じ条件でしたが、炉の乾燥がうまく行かずに2キロちょっと。3回目は砂鉄は吉田村から購入したものでも、土は黒鉄会で採取した山梨の風化花崗岩の土。これでもケラとしてのまとまりは悪くても4.8キロできました。(でも、炉の設計が悪くて羽口の位置の変更ができなくて、すごく苦労。)ところが、後で大野師匠がたたらネットのホームページを見て、「炉が大きすぎる」と指摘。温度が上がらなかった理由はこれだったことが判明。4回目は炉を小さくして、さらに大野師匠の弟子の伸介さんが指導にはせ参じてくれました。土は山梨、砂鉄は房総のチタンの多い浜砂鉄。おまけに炉の設計ミスから壁がゴソッと落ちるという最悪の条件での操業。4.3キロの収量を上げたのは「さすが技」でした。そもそも炉がどんな風に作られているかがわからないのに操業だけしにくるのは無謀と知りながら、黒鉄会がえらく苦労しているみたいだからと言って来てくれたのですが、本当に苦労をかけてしまいました。

それなのに、5回目はまたしても失敗と言えないほどの有様でした。ここで、村下を交代、やっと今回のUeさんが村下役になったのです。今までやみくもにやっていたのではろくな反省材料にならないので、今回はしっかり話し合ったのです。炭の大きさもつい大きくなりすぎるので、5センチの網を用意して、そこを通ったものだけという念の入れようでした。

でも、結果は・・・、どうして・・・、あの粘っこいノロはどうして?しかし、やるだけやったので、反省会を5/20に壊した炉を詳しく見ながら行うことにしました。でも、砂鉄投入を止めてから、村下のUeさんは山菜を摘んできてお浸しを作ってくれて、みんなで「おいしい、おいしい」と言って食べるという終始のどかな雰囲気の一日でした。でも同時に覗き窓があったので、変化とその対応に追われハラハラドキドキの半日でもありました。

例によって操業後は温泉に行って、その後、中華屋さんで夕飯。でも、その時は「ノロの流動性を上げるにはもっとガンガン送風すれば良いのかな?」などと話し合っていました。

翌日、これだけ面倒を見てもらっている大野師匠と、尾上さんにご報告。すると電話の向こうで大野師匠は思いもかけないことを言いました。「それは砂鉄の投入をもっと早くしたら良かった。失敗の1番の原因はそこにありますね。土だけのノロは粘くてダメです。」

何と何と、ガンガン送風すればもっと土だけのノロができただけです。私たちは炉底温度を充分に上げることだけ頭にあったのが、いけなかったのですね。

5/20の反省会。
Ue「でも、炉はこれでいいんだから後は操業の問題だとわかったわけだから、1歩前進ですね」
Na「僕は地質屋として深く反省しています。ノロが糸を引くということは粘性が高いことなんだよね。それに風化花崗岩の土を溶かしても花崗岩質マグマとだいたい同じシリカ分があるから、かなり粘っこいものしかできないんだよね。そうだ、始めから土に砂鉄を混ぜたらいいんじゃない?」
J「いっそのこと蛍石を混ぜたら良いじゃない。」
As「大体、私たちは山梨の土で、チタンが多い房総の砂鉄じゃ、腕がないのに条件が悪すぎるよね。蛍石は私も考えていたんだ。でも同じ条件で伸介さんはやったんだから、あれは腕だよね。」
Ue「そうだよ。伸介さんは同じ条件で3回やれと言ったでしょう。次も同じ条件でやろう。」

はい、全員一致で賛成しました。でも、何もできていないと思っていたら3キロくらいのたくさんの粒鉄とケラに成長しかっていたものができていました。今年の秋のたたらサミットで「粒鉄1つ100円」で売ろうかと、儲ける話しでわきました。

 「たたらはやっぱりむずかしい、でも、おもしろい」
 これが黒鉄会の今回の操業の感想でした。


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