富士火山を知る 1 基本編

2022年10月16日

 

1. 富士山調査に関わった訳

山梨・静岡県にまたがる富士山は日本一の高さを誇る(標高3776m)。日本列島の陸上の火山ではずばぬけて大きく、流動性の低い(流れやすい)玄武岩の溶岩を火山の誕生以来ずっと噴出し続けているという意味では、日本では数少ない成層火山(複成火山)である。最も遠くまで流れた溶岩流の先端は山頂から直線距離で36km にもなる。 “複成”なので何度も噴火を繰り返すが、それに対する言葉は単成火山である。溶岩流以外にもスコリアや火山弾、火山灰などを火口から放出するし、火砕流も流れている。それが今の富士山の形を作った。世界各地から多くの登山客が訪れるが、2013年に世界文化遺産に認定され、山麓の観光地も観光客で賑わう。観光スポットは富士五湖や忍野八海、溶岩樹型や溶岩トンネルなど、火山に関連するものだけでも数え上げたらきりがない。登らなくても見るだけでも十分な山だ。いや、眺めるだけの山だ、という人もいるくらいだ。

私の所属する研究所では1999年から富士山南西側の調査を開始していた。その時のメンバーが高田 亮さんと山元孝広さんである。ところが、2000年、富士山の地下15-20kmで地震(低周波)が多発し、もしかして噴火が近いのか、と政府が音頭を取って予算を用意し、いろいろな研究機関・大学が調査・観測を始めることになった。もちろんそれぞれの研究手法は多岐にわたるが、我が職場の昔の名称は地質調査所である。その名の通り、富士山全域の地質図を作ろうという動きになったのだ。富士山に関しては長いこと1968年発行の故津屋弘逵さん(元東大名誉教授)の地質図が利用されてきたが、それを改訂しようという計画なのだ。

そして、当時1年目の新入職員だった石塚吉浩さんが指名され、そして私が引きずり出され、富士山調査は高田さん、山元さんと合わせて4人体制となった。山頂部は共同で、ほかは区域を分けて調査することになった。私の担当はというと、それまで分担が決まっていなかった富士山北東側となり、結局10年以上も歩いた。富士山は私の職場のあった茨城県つくば市から日帰り往復ができるのだが、なかなか日帰りはきついし交通費と往復時間の無駄だ。結局、地下の様子を探る電磁気探査のお手伝いを含めると、私自身は全部で200日近い調査日数となった。

それらの集大成として、富士山の地質図が2016年7月に刊行された。もちろん印刷物として誰でも購入できるが、インターネットを使えば無料で閲覧やダウンロードが可能な時代だ。

 

2. 富士山成長の歴史

富士山は古富士・新富士の2階建てとか3階建てとか言われることもある。津屋さんの研究では、噴出した溶岩流を比較して古富士・新富士と区分していた。それに対し、山麓まで飛んだ火山灰を研究した町田 洋さん(東京都立大学名誉教授)は古期富士・新期富士と分けたのだが、名称は似ているもののそこには食い違いもあり、混乱を招いていた。2011年、54歳でこの世を去った宮地直道さん(日本大学)も基本的に古富士・新富士の名称を踏襲していた。さて、混乱解消のため、新たな名称を提唱することにしたのだが、さあ、それらは浸透するかどうか・・・。

新しい区分では、星山期(17000年前まで)、富士宮期(17000年前〜8000年前)、それ以降は須走期である。須走期はさらに細分して、a(8000年前〜5600年前)、b(5600年前〜3500年前)、c(3500年前〜2300年前)と d(2300年前以降)の4期である。それらの名称はそれぞれ代表的な場所の地名から採ったものだが、確かに順番は覚えにくい。それぞれの特徴は、約1万7千年前の大量溶岩流出の前までを星山期、溶岩の大量流出時期を富士宮期、その後の黒色の土壌(富士黒土層あるいはクロボク)が厚く堆積する時期以降の活動が須走期である。この須走期は、火山活動がほとんどおこらなかった a、今の富士山の形がほぼ完成した b、山頂及び山腹での爆発的噴火が卓越した c、そして山頂では噴火せずに山腹での噴火だけがおこった時期が d である。

このうち最後の須走-d期では、13世紀までは100年に平均3回くらい、溶岩を流す噴火をしていたが、古文書に残る記録はそれほど多くない。有名なものは9世紀の青木ヶ原溶岩流だ(貞観噴火)。13世紀以降、富士山は溶岩を流す噴火をしなくなったようで、18世紀初めには富士山としては珍しく火砕物(スコリアや火山灰など)だけを放出する爆発的な噴火がおこった(宝永噴火)。

富士山の地質図概略。富士火山地質図第2版(高田ほか、2016)に加筆修正。
活動期ごとに色分けしてあるが、赤が2300年前以降の溶岩流の分布。地質図そのものでは全体が200単位近くの溶岩に分けている。いずれも富士宮期に流れた北東の猿橋溶岩流と南東の三島溶岩流が最も長いとされる。

 

3. 成長の裏には

成長の歴史には必ず“挫折”が伴う。火山では、大規模に山が崩れることだ。富士山の南東側、現在、御殿場市街地がある緩やかな平地は、2900年程前に山頂付近の東斜面が山崩れ(山体崩壊)をおこして崩れてきた堆積物が厚く広がってできている。それを御殿場岩屑なだれ堆積物という。山体崩壊の引き金になったのは噴火なのか地震なのかはわからない。富士山に限らず火山は一気に崩れやすい。それは、山頂付近は急斜面で、安息角を超えていることが大きく関係している。安息角とは、例えば細かい砂を落として自然に三角錐の山になる安定した角度だと思えばよい。ふつうは32-33度程度である。しかし、富士山の山頂付近は40度を超える急傾斜となっていることもある。噴火でまだ固結していないスパターが落下し、そのまま張り付いて固まってしまい、安息角より急で不安定な斜面を作りやすいのだ。

富士山で最も大規模な崩壊は約2万年前の星山期におこっている。その時の崩壊した土砂は、それ以降の溶岩流や堆積した土砂に埋もれずに今でも丘になっており、特に南西麓に大量に残されている。現在の富士市や富士宮市の街は溶岩流あるいは河川が作った扇状地の上に形成されているが、その地下には山体崩壊で運ばれた堆積物が大量に埋もれている。これらは田貫湖岩屑なだれ堆積物と呼ばれている。

 

4. 富士山の下に隠れたもの

じつは富士山の下にはもっと古い火山が埋もれている。それは小御岳と先小御岳という名前の火山だ。これを含めて富士山は3階建てとか4階建てと言われるのだ。一般にはこれらは狭義の富士火山には含めない。小御岳は北斜面5合目の富士スバルライン終点にある小御岳神社を頂点に広がっており、どこでも厚さ2 m以内の多数の薄い溶岩が重なっている。その岩石は玄武岩あるいは玄武岩に近い性質の安山岩(玄武岩質安山岩)であり、岩石に含まれる鉱物の特徴や化学成分から富士山のものとは明らかに異なっている。一般には約10万年前の火山と言われている。そして、そのさらに下にはもっと古い約27〜16万年前に活動した火山がある。東大地震研究所によるボーリング調査で見つかり、先小御岳と命名された。この岩石は安山岩やデイサイトだが、地表でも小御岳の溶岩の下に1ヶ所だけ、これに似た溶岩が露出している場所がある。 明らかに小御岳の岩石とは異なるものだ。

この小御岳については、富士山科学研究所の吉本充宏さんと一緒に調査することが多かった。吉本さんは東大地震研在籍当時、先小御岳と命名した張本人の一人だ。そのため、小御岳も調べたがっていたのは知っていたのだが、その後、北大に異動していった。
ある秋、富士山麓のスーパーマーケットで吉本さんに出会った。吉本さんはその日に歩いたルートで、やたら岩石を叩いた痕がある、一体誰だ?と不思議に思っていたそうだ。私からすると、まさか吉本さんが北海道からわざわざ調査に来ることはないだろうと思っていた。偶然、1日違いで同じルートを歩いたのだ。その後は、小御岳周辺の調査は一緒に、ということになった。

富士山に大部分が覆われる小御岳の山体(手前)。形成された時代が古いため、浸食されて谷がいくつもできている。

 

5. 側火山・側噴火・割れ目噴火

今から過去2300年間は、山頂ではなく山腹・山麓で噴火がおきている。宝永噴火の火口だけでなく、山頂の北西や南東に多数の火口がある。この方向は、太平洋プレートの沈み込みによって地盤にかかる力の方向だ。山頂噴火(中心噴火)に対し、火山の側面でおこる噴火を側噴火という。側噴火ではマグマが地下の硬い岩盤を割って板状に上がってくる。これが地下でそのまま固まれば岩脈となる。 火口は1ヶ所とは限らず、同時にいくつも並ぶことが多い。地表に割れ目ができるので割れ目噴火ともいう。たとえば北東斜面の焼山付近、1500年ほど前の噴火では30個以上の火口が連なっている。そこの火口は大きいものでも直径20mほど、小さいものでは3m程だ。山頂北側では1000年ほど前、標高3480mから2000mまで、長さが3.5kmにも及ぶ火口列を作っている。すぐ西に少し前の火口列があるが、こちらも標高2900〜1700mの火口列から20kmほども溶岩流が流れた。このような火口列は、連結して細長い火口になることも多く、麓から見ると斜面に細長い谷地形が並んで続くのが見えることがある。こういう側火山では火口の周囲にスコリアやスパターが積み重なって固まり、高まりになっていることが多い。スパターが積み重なればスパター丘、スコリアが積み重なればスコリア丘と呼ぶが、こういう火砕物が積み重なったものを総称して火砕丘と呼ぶ。ときにはそこから溶岩流も流出する。スパターとは火口から飛び出すまだ固まっていないマグマのしぶきだ。スコリアとは簡単に言うと黒い軽石と思えばよい。孔だらけのマグマの破片で、軽いために風に流されて細かいものほど遠方まで飛んでいく。

側火山は、先に書いた焼山のように北東や南西の斜面や山麓にも少しはあるのだが、北西-南東に比べてどういうわけか規模の大きい火砕丘はできていない。火口から噴き上げる火砕物が少ないからであろうか。マグマからガス成分が抜けてしまうとそうなるかもしれないが、なぜそうなるのか、その理由はよく理解していない。

富士山の火口分布図(高田ほか、2016)。時代別に色を変えてある。

 

6. 富士山の形は非対象

富士山はどこから見ても同じ形をしていると思うのは大きな間違いである。たとえば山頂の北西側と南東側で斜面の傾斜が異なる。それは、基本的に日本列島では西〜北西風が吹くことが多いので、山頂から噴出したスコリアや火山灰は風下側、つまり東〜南東側に堆積しやすくなり、斜面の傾斜が緩くなる。こういう傾斜の違いは、北東の山中湖周辺や南西側の田子の浦(富士市)から見るとわかりやすい。

例えば山中湖から見ると、右斜面(北側)には小御岳の突起が、左斜面には宝永山の突起がある。これらは古い岩石からできた部分が突出しているが、さらに側噴火による火砕丘ができると平滑だった火山斜面に凹凸ができる。北西斜面と南西斜面にはそれらが多数並んでいる。斜面の傾斜の違いにこれらの新旧のこぶ状の高まりが味わいを与えているのが今の富士山の姿だ。

 

北北西、鳴沢村より見た富士山。北西斜面上に多くの側火山があり、右端が大室山。日本の火山データベースより。

 

西北西、富士宮市麓(毛無山の山麓)より望む富士山。左端は大室山。日本の火山データベースより。

 

北東、山中湖畔より望む富士山。右中腹に小御岳の起伏、左中腹には宝永山。日本の火山データベースより。

 

南方、田子の浦港(富士市)より見る富士山。右斜面に宝永山の突起が見える。日本の火山データベースより。

 

 

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