5万分の1地質図幅「木曽福島」の不思議

 
あれ? 地質図と説明書では著者がちょっと違うぞ!
 −それにはやっぱりわけがある−

 地質調査所(現在の産業技術総合研究所 地質調査総合センター)発行の“5万分の1地質図”は国土地理院発行の“5万分の1地形図”ごとに作成されています.御嶽火山の大部分は,5万分の1地形図でいうと「御嶽山」と「木曽福島」に含まれます.御嶽火山の西半分を含む「御嶽山」の地質図は,1988年に出版されました(山田・小林,1988).さて,残りの東半分の「木曽福島」は,10年後の1998年に出版されました(竹内・中野ほか,1998).
 じつをいうと,この10年間の間に御嶽火山の形成史が大幅に改正されました.従来は,山をくまなく歩いて調べた現地調査のみに頼って火山形成史が組み立てられていました.ところが,「御嶽山」以後,御嶽火山の岩石の年代測定が大量におこなわれ,従来の火山形成史が正しくないことが明らかになってきたのです.最近は岩石の年齢をはかるという技術が大幅に進歩・普及してきており,その勢いが御嶽山にも及んだのです.1988年の「御嶽山」と1998年の「木曽福島」の地質図をくっつけてみればわかるのですが,火山の区分の仕方が違っているのです.
 御嶽火山は大きく古期御嶽と新期御嶽に分けられています.このうち古期御嶽がどのように成長してきたかという考え方が大きく変わったのです.従来の古期御嶽の成長史は,広い範囲に分布する特徴的な安山岩溶岩(倉越原溶岩層という)を同じ時代の溶岩とみなすことにより組み立てられていました.ところが,この特徴的な安山岩溶岩を何ヶ所かで採取し,その年代測定をおこなったところ,地域ごとに異なった年齢の岩石であることがわかったのです.したがって,この溶岩層を中心として組み立てられた従来の火山成長史は,御嶽火山を長いこと調査し,「御嶽山」地質図の作者であるTKさん自らにより破棄されたのです.
 通常,地質図は,報告書とセットで出版され,地質図の詳しい説明は報告書に書かれており,両者は切り放すことができないものです.じつは,「木曽福島」の御嶽火山については,このTKさん自身の新しい考え方に基づき,出版される予定でした.そして,「木曽福島」の御嶽火山の地質図は,TKさんが新しいモデルに基づき作成しました.ところが,ある事情があって,それに対応する報告書の記述は,TKさん本人ではなく,SNさんが担当する事態になってしまいました.さあSNさんは困った.
 まあ,そんなわけで,詳しい地質調査を自分の足でおこなったわけではないのですが,「土地勘がない,まったく歩いたことがない」というわけではなかったSNさんが,TKさんにかわって御嶽火山の記述をまとめることになりました.TKさんにとってもSNさんにとっても決して本意ではないのです.「木曽福島」の御嶽火山は,地質図はTKさん,報告書はSNさん,という異常な事態なのです.

御嶽火山の地質図は1988年の「御嶽山」,そして1998年の「木曽福島」図幅として出版されました.




これで御嶽山のページはすべておしまいです.

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