立山火山を知る 4 カルデラ編

 

 

1. 新湯


立山カルデラは立ち入ることができない。立山駅から砂防工事用のトロッコに乗るか、有峰湖経由で車で行くかだが、いずれにしろ一般人は自由には入れない。ただし、カルデラ内には立派な舗装道路ができており、工事用の大型トラックが頻繁に走っている。新湯に行くには立山カルデラ砂防博物館が主催する年に何回かの見学会を利用するのが数少ない機会かも知れない。私はついぞ走るトロッコに乗る機会には恵まれなかった。

立山カルデラ内の新湯(1997年)。日本の火山データベースより。

 

新湯へは湯川沿いをたどることになる。しっかりした踏み跡がついていていくつかの堰堤を越える。普通は1時間程度の歩行だが、登山道ではなく堰堤を越えるアップダウンの足取りは何となく重たい気がする。最後の古い堰堤を越えればすぐ左岸側上部で湯気が上がるのが見える。そこから少し崖を登ればよい。新湯では玉滴石という鉱物が発見されている。見かけは魚の卵みたいなものだ。小さな砂粒のまわりに温泉に含まれているシリカ成分が付着して成長し丸くなり、大きさ1mmから2mmくらいの小さな玉になる。無色透明で美しい。実物を見るなら富山市内の科学博物館がよいだろう。

新湯の泉温は約70度で、ややうす緑がかった乳白色をしている。湯量がそれなりにあると直径30m程度の円形をしている。もともと火口だったのだろう。湯量は増えたり減ったりすることがあり、人工的に湯を抜いたこともあったらしい。ごく最近でも湖面が下がったと聞いている。そういう時に玉滴石が見つかりやすいらしい。富山市の科学博物館の学芸員によって、この玉滴石は現在も池の中では成長していることが確かめられている。そもそも新湯は1858年の飛越地震の時まではただの冷水の池だったとされる。

ここでは秘密の楽しみがある。さすがに新湯には直接は入れない。しかし、湯川の川底より一段高い場所にあるので、新湯からあふれたお湯が湯滝となって川に落ちているのだ。ちょうど適温となり、その滝で打たせ湯を楽しめる。また、川に少し穴を掘って腰が浸かる程度の小さな湯舟をこしらえれば、極上の楽しみとなる。もちろん生卵持参で温泉卵もできるのだ。

カルデラ内では二度もひどい目にあったことがある。まだ梅雨明け直後のことだが、トロッコの線路沿いを歩いていた時、いきなりブヨの大群が襲ってきた。手で払っても払ってもかまれ続け、たまらずザックごと川に入って頭まで浸かり、水をバチャバチャかけてなんとか逃れた。また、10月にもなると気温がずいぶんと低い。草むらの中で身を寄せ合ったヘビの群れに足を入れてしまった。ヘビはすぐにばらばらに動き出したそうだ。後ろを歩いていた若者がそれに気がついた。ヘビが大嫌いな私はその日はそのまま帰ってしまいたかった。

 

2. 立山温泉


カルデラ内には戦国時代に発見された立山温泉があった。かなりにぎわっていた時期もあると聞いている。この温泉は古くからあるので、飛越地震後にお湯になった池を新湯と言うようになった。元の立山温泉は建物の土台が残っているだけだが、解説版や東屋もできている。泉源はすぐそばの湯川沿いに何ヶ所かある。現在はその下流に〈天涯の湯〉を作ってある。脱衣所は男女別だが湯舟は屋根もない混浴の露天風呂だ。立山温泉は1969年の豪雨で大きな被害を受け、やがて閉鎖されてしまった。

カルデラ内には大量の土砂がたまっている。これの流出を防ぐ工事が明治時代以来続いている。この砂防工事の日本語から〈SABO〉という単語は世界共通語になっていることはご存じだろうか。日本で初めて砂防工事が始まったのが立山カルデラ内を源とする常願寺川だ。当時、ドイツ人技術者のペレケがカルデラ内の常願寺川を見て「川ではなくて滝だ。」と言ったと伝えられている。もしも一気にカルデラ内の土砂が富山平野に流れたら大変なことになる。もともと平野や扇状地というものは、泥流や土石流として流され運ばれて堆積した土砂がたまってできたものなのだが、、、。

 

3. 天涯の湯


1858年、飛越地震で誘発された鳶崩れによって、カルデラ内に大量の土砂が流れ込み、立山温泉は温泉客と従業員が埋もれて建物も壊滅した。今でもその供養塔が温泉跡地に建っている。

天涯の湯では、湯舟からちょうど正面に鳶崩れの発生した場所がよく見える。また、すぐにでも崩れそうなその時にたまった土砂の山が目の前にある。

ここで、この飛越地震を起こした跡津川断層を説明しておきたい。岐阜県神岡のスーパーカミオカンデはご存じだろう。その付近を通る高原川が3kmくらいクランク状に屈曲していることは有名だ。この断層は水平方向にずれ動く横ずれ断層なのだが、1回の地震で動くのはせいぜい数m、それが繰り返しなんども動いて3kmもずれてしまってる。岐阜県の西武、白山付近からからずっとこの立山カルデラまで続いている日本でも有名な断層の1つで、約70kmの長さがある。この断層が1858年に動き、飛越地震が発生した。この断層が動く地震の周期がほぼ300年とわかっており、当面は地震が起こらないという理由で神岡がカミオカンデを設置する候補になったという話しは有名だ。神岡はもともとは岩盤がしっかりしたかなり深い坑道堀の鉱山だった。ここの精錬所の排水が原因で、日本四大公害の一つ、イタイイタイ病がおこっている。

天涯の湯。背景は鳶崩れの崩落源と手前に崩れてたまった土砂の山。日本の火山データベースより。

 

4. 鳶崩れと大場の大転石


カルデラ内では過去に大きな崩壊がなんども発生している。直近に起きたものが1858年の鳶山崩れである。崩れた土砂で天然ダムができ、川をせき止めて湖ができた。さらに、それから1週間後に長野県側で大町地震が発生し、今度はその天然ダムが決壊し、土石流となって常願寺川を流れ下り、その土砂が富山平野に流れでて大きな被害がでた。鳶泥(とんびどろ)と呼んでいるが、流域では平均1m以上の厚さの土砂がたまっているという。大きいもので数m以上の岩塊も流れてきて、今も何か所かに残っている。その代表例が「大場の大転石」である。周辺には大きな岩がいくつもあるのだが、新しくできた霊園の中に、墓石に囲まれて鎮座している大岩の姿が印象的だった。

富山平野にある大転石(大場の転石)

 

 

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