『岳人』1998年6月号(no.612)p.42-43.特集“山上湿原を訪ねて”より
山上湿原入門講座
中野 俊
たくさんの池溏が点在する高山の湿原.それを彩る湿原植物.ブナやオオシラビソの林を抜けてこんな美しい風景に出くわすと,つい目を奪われてしまう.たとえ天気が悪くとも−.湿原とは
高山の湿原としての尾瀬ヶ原の知名度は群を抜いている.しかし,そのほかにも八幡平,苗場山,霧ヶ峰,北アルプスの雲ノ平など,例を挙げればきりがない.そしてどういうわけか,これらの多くは多雪地帯の火山地域なのである.
湿原とは泥炭が生産されるところである.すなわち,植物の生産量が枯れた植物の微生物分解量を上回る場所である.そのようなところは,気候,地形・地質などの条件が微妙にバランスが取れているのである.
湿原ができるためには,もちろん平坦な地形がなくてはならないが,水が多すぎると池や沼になり,少なすぎると草原や林になってしまう.また,周囲からの土砂の流入が多くなるとすぐに干上がってしまい,湿原は生き続けられない.高山の湿原もやがては乾燥し,山地草原や森林に移行することもある.したがって,湿原でいられるのはどんなにしてもそう長いことではない.
湿原には,低層湿原,高層湿原,その中間の中間湿原という区別がある.高層湿原としては,尾瀬ヶ原や霧ヶ峰の八島湿原が代表格であろうか.生育する植物の名前から,ミズゴケ湿原と呼ぶこともある.湿原では,枯れたり倒れたりした植物が分解せずに堆積して泥炭ができるのだが,その泥炭が水面より下にできるのが低層湿原,水面より上にできるのが高層湿原である.湿原が標高の高いところにあるかどうかではないのだが,誤った使い方をされることが多いようだ.
しかし,そんな厳密な区別はさほど気にすることはない.日本の高層湿原は,泥炭の堆積とともに水面より高くなって低層湿原から移行したものが多いし,また,いまは低層湿原でもやがては高層湿原となりうる運命を持つもの,現在移り変わりつつあるものなど,さまざまな過程のものがあるのだから.
低層湿原では地下水の供給を受けるので,水質は酸性にはならず,栄養分にも富む.ここではヨシやスゲ類が発育する.それに対し,高層湿原では土壌は酸性となり,貧栄養状態になっている.そしてそれに耐えうるミズゴケが生育している.低層湿原も,やがて泥炭層が厚くなり植物が下から水分・養分を吸収することが困難になると,それに適した植物,すなわちミズゴケが生育するようになり,高層湿原に変わっていくのである.ミズゴケは,自身の乾燥重量の20-30倍もの水分をため込む能力を持っている.
高層湿原についてよくいわれることのひとつに,次のような地形的な特徴がある.それは,よく観察しないとわからないことが多いのだが,時計皿を伏せた,または,ドーム状と形容されるように,湿原の中央部分がやや盛り上がっているのである.それは,湿原の中央部では周辺部よりも栄養分が少なくミズゴケ類はよく生育し,しかも分解も進みにくいので,より多くの泥炭が生成されるからである,という考え方で説明されているようだ.湿原はどこにできるか
地球は生きている.氷河,火山噴火,地すべり,断層作用などによって凹地ができれば水がたまる.高山の湿原は,このように形成された池や沼が埋め立てられて生まれることもある.また,もともと水はけの悪い緩傾斜地や平坦面があれば,そこにも形成される.
日本列島の湿原は分布が偏っている.なぜならば,泥炭が生じるには,植物が分解しにくい環境すなわち微生物の発育の悪い寒冷地である必要があるからだ.
高層湿原は,中部地方では標高約1200m以上に発達し,北へ行くほど分布の下限が低くなる.高山における湿原は,西日本では山陰の三瓶山や九州の阿蘇にはあるもののわずかしか分布しておらず,それに対し中部日本以東では多数分布している.しかも,その場所は火山地域に集中している.それは,泥炭が生産されやすい条件として,水はけが悪く浅い凹地や平坦面が火山にはできやすいのがその主な理由であろう.こういうところでは,降雪によりもたらされる豊富な融雪水が湿原の形成に重要な役割を果たしているのである.湿原はいつごろできたか
現在見られる湿原で泥炭が生産され始めたのは,完新世というごく最近の時代になってからである.泥炭中の炭素同位体の放射年代を測ったり,あるいは泥炭層に挟まれている噴火年代のわかっている火山灰を見つけることによりはっきりとわかってきている.それ以前は最終氷期の最も寒冷化した時期であり,泥炭が生産されるほどの植物生産がなかったのでは,と考えられている.
詳しく調査されている湿原,たとえば尾瀬ヶ原や霧ヶ峰の八島湿原など,ほとんどは約1万年ないし8千年前から湿原が成長してきたことがわかっている.もちろん,これよりも若い湿原もある.これらの泥炭層の厚さはたかだか10m以内であり,泥炭の堆積速度は1年に1mm程度とごくわずかなのである.尾瀬ヶ原はどのようにできたか
日本を代表する高層湿原,尾瀬ヶ原について少し解説しよう.正確にはわかっていないのだがおそらく20〜数万年前であろうか,尾瀬ヶ原の北西にある燧ヶ岳火山が噴火をはじめた.その後,流れ出した溶岩や火砕流がかつての只見川をせき止めてしまい,湖を形成した.やがて土砂に埋め立てられて湖には植物が侵入するようになり,1万年より少し前に湿原になった.すなわち,尾瀬ヶ原は,現在の尾瀬沼(これも燧ヶ岳の山崩れによってせき止められてできた)のような湖沼が埋め立てられて浅くなり,やがて湿原に変化した,と考えられてきた.
ところが,最近の研究ではどうやら少し違うということがわかってきている.詳しい学術調査をおこなった阪口 豊(尾瀬ヶ原の自然史.中公新書,1989年発行)によると,いまの湿原ができるはるか以前,尾瀬ヶ原の湖は埋め立てられて一旦は消失してしまい,完全に干上がっていたというのだ.しかも,大きな湖があった証拠は今のところ得られてはいない.また,現在の湿原の泥炭層の下には,湖底にたまった堆積物ではなく川の堆積物が見つかっており,さらに,湿原を構成する泥炭層よりも古い泥炭層が地下に何枚も埋もれている場所もあったのだ.これらは何本ものボーリング調査によって明らかになったことである.
すなわち,尾瀬ヶ原湿原は湖が陸化して直接生まれたのではない.一旦干上がった後の盆地には川が蛇行しながら流れており,川の氾濫による砂礫の堆積と湿原の成長が繰り返されていたのだ.そして,現在の湿原は,洪水で溢れ出た水がたまってできた池や後背湿地から成長し始めたのだという.それは,約8千年前のことだとわかってきた.また,高層湿原を特徴づけるとされるドーム状の高まりも,これまでとは違う成因が考えられている.ドーム状の高まりの下では,泥炭層の下の基盤が盛り上がっていたのだ.すなわち,湿原表面の凹凸は湿原形成以前の元の地形を反映しているらしく,泥炭はほとんど一定の厚さで堆積しているというのである.湿原の将来
幸いなことに,何度も持ち上がった尾瀬ヶ原の貯水池化計画は,もはや完全に断念されたようだ.しかし,いずれは見事な高層湿原になったであろう群馬県北西の野反池湿原は40年以上前にダム湖の下に消えてしまったし,長野県菅平の湿原もすべて開墾されてしまった.せき止めや開墾に適して見える地形であったがゆえの悲劇である.そのほかにも,霧ヶ峰八島湿原のダム計画や日光戦場ヶ原の開墾計画もあったというが,いずれも立ち消えている.ところが,湿原そのものを保護してもその周囲を乱開発してしまえば,その影響で湿原も滅びてしまうことがある.戦場ヶ原は周囲の森林伐採が原因でいまや乾燥化が著しく,広い範囲で山地草原に変わってきていることはそのよい例である.
高山の湿原は,気候や地質・地形などがバランスよく整ったからこそ形成されてきた.地質学的な,いや,人類学的な時間尺度で測っても,湿原は移り変わる大地のほんの一瞬の姿に過ぎないのだ.そのはかない現象だからこそ,大切にしなければいけないものなのである.