宝 島


 宝島は中新世と推定される火山岩から構成される宝島層群を基盤とし、それを不整合で覆う中期更新世の堆積岩(琉球層群)及び完新世の隆起サンゴ礁及び砂丘堆積物が覆う。

 宝島層群は下位から尾根上山層、イマキラ岳層、赤木(アクーキ)崎層からなり、それぞれ断層で接する。最下位の尾根上山層は島の中央部を東西に横断する北落ち逆断層の南側に分布する火砕岩及び溶岩層で、層厚は270 m以上である。この断層沿いでは幅数-10 mの破砕帯が確認されている。火砕岩の一部は非溶結の軽石質火砕流堆積物とされ、枕状溶岩も存在する。イマキラ岳層は島中央部を横断する逆断層の北西側に分布し、最も分布域が広く、層厚750 m以上の火砕岩及び溶岩である。火砕流堆積物が主体で、一部は強溶結している。赤木崎層は島の北東部でイマキラ岳層と北東落ちの正断層で接する火砕岩及び溶岩層である。この断層沿いでは幅10-20 mの破砕帯が確認されている。層厚は280 m以上、火砕岩の一部は軽石質の火砕流堆積物で、一部弱溶結している。

 これらの地層を構成する岩石は、緑色変質が著しい輝石安山岩である。一部には銅鉱床が胚胎している。前期更新世のK-Ar年代値及び鮮新世のFT年代値が報告されているが、これらは変質年代を示すと解釈され、宝島層群の年代は中新世とされている。ほかに時代を示す資料はないが、本地質図幅ではこれに従い中新世としておく。

 宝島層群を覆う琉球層群は石灰岩及び砂礫層からなり、島の北西-南東方向の尾根の両側にわずかに分布する。下位の礫層は琉球列島の国頭礫層(国頭層)に対比されている。上位の砂礫層は石灰岩と同時異相であり、琉球列島の那覇層に対比される。

 隆起サンゴ礁堆積物は、ほぼ全周の海岸沿い、高度2 m以下に分布する。約3,300-2,300年前の放射性炭素年代(未較正)が報告されている。砂丘堆積物は未固結の砂層で、これを覆う。最大で20 mの層厚を持つ。

  宝島ではかつて銅鉱石が採取されていた(宝島鉱山)。北東端の鷲ヶ崎付近に少なくとも5つの採掘坑跡を確認した。現在、その付近は金山公園と呼ばれている。女神山、蛭岳南東、荒木崎付近にも坑口があった。鉱脈は黄銅鉱・黄鉄鉱・閃亜鉛鉱・方鉛鉱を含む浅熱水性の石英脈で、最大幅2 m程度(蛭岳南東)で宝島層群の火砕岩を貫く。銅の採掘は明治以前に薩摩藩によって行われ、一時中断したようだが少なくとも1877年(明治10年)まで採掘されたようである。最も新しい開発は1960年頃、金銀を目的として試掘されたが、貧鉱で稼行に耐えず、鉱石は島外に搬出されていない。

 

引用文献

赤塚(1953)、大迫(1976)、大四・松本(1979)、木庭ほか(1979)、大四ほか(1987)

 

宝島の地質図と地質断面図。
大四・松本(1979)の地質図を木崎編(1985)から引用(一部修正)。
 

 

二股立。

 

大瀬崎付近。隆起サンゴ礁と女神山。

 

女神山西方、銅鉱石の採掘現場。ズリが落ちている。

女神山西方の宝島鉱山。採掘した坑口。

 

あっと驚いた、桟橋のアート。

 

北西海上より見る宝島全景。手前の尖塔が女神山。

 

観音洞

 

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