吾妻連峰
(2007年9月)
広大な吾妻連峰は古い火山と新しい火山が寄せ集まっている火山群だ。古い火山は約130万年前から100万年間以上にわたって活動し、いくつもの火山が集まってほぼ現在の形の吾妻連峰を形成した(図1)。その岩石はほとんどが安山岩で、溶岩噴火を主体とした活動だった。最高峰の西吾妻山(2,035m)や西大巓、中吾妻山、東吾妻山などがこの時期の活動で生まれた山で、全体がたおやかな山容を示している。そしてしばらくの休止後、マグマは再び活動を開始し、約7000年前から再び噴火が活発になった。その活動の中心は吾妻連峰の東端、一切経山や吾妻小富士付近である。この新しい火山は吾妻-浄土平火山とも呼ばれており、吾妻小富士以外は古い火山体の上を薄く覆っているだけである。
図1、吾妻連峰周辺の地質図。20万分の1地質図「福島」(産総研地質調査総合センター発行、2003年)に地形陰影をつけた。AとBはいずれも古い火山体、Cが7000年より新しい噴出物、Dは山頂部が崩れて溜まった堆積物で、福島盆地まで到達している。
●火山活動
約7000年前以降の新しい噴火口は、浄土平から一切経山へ上る登山道付近に分布している(図2、図3)。浄土平から少し登った付近では、約6000年前の噴火で放出された巨大なパン皮状火山弾(図4)を見ることもできる。近づいて観察すると、数ミリ大の大きさのあめ色に輝くかんらん石を見つけられるだろう。最も噴火が激しかったのは吾妻小富士だ。そこでは短期間に大量の溶岩を東麓に流し、噴火口ではきれいな形の火砕丘をつくりあげた。有史時代には一切経山の山腹・山麓でたびたび噴火が起こっている。最新の噴火は1977年だ。1893年、燕沢火口列で噴火が起こった。5月に最初の水蒸気爆発が起こり、翌6月、悲劇が起こった。噴火調査に出かけた地質調査所の職員2名が、突然の爆発で火口から噴き出された噴石の直撃を受け、死亡したのだ。わが国の噴火調査における最初の殉職者である。現場近くの登山道脇に、慰霊碑がそれぞれ建っている。噴火は翌々年までたびたび起こっていた(明治噴火)。
1900年、吾妻連峰の南に位置する安達太良山では82名の死者・負傷者(硫黄精錬所作業員)を出す噴火が起こった。また、1888年、その隣の磐梯山ではもっと大きな悲劇が起きた。水蒸気爆発に引き続いて小磐梯と呼ばれる山が噴き飛び、北麓にくずれた土石がなだれとなって一気に押し寄せ、集落を押しつぶし、461名もの犠牲者を出したのである。しかし、この土石が川を堰き止め、檜原湖、秋元湖などが誕生し、裏磐梯を代表する風景を作り上げたのである。以上のように、わずか12年の間に隣接する3つの火山が次々と噴火したのだ。今後もこれらの火山が連鎖的に噴火するような事態がありうるのだろうか。吾妻山では現在でも硫黄平から浄土平にかけて噴気活動が活発である。2000年には硫黄平でガス中毒事故も起こっている。たとえ噴火時でなくても、登山中にも火山ガスには十分注意しなければならない。
図2、最近7000年間の火口分布図(山元孝広作成)。五色沼も桶沼も火口湖。
図3、燕沢火口(手前)と吾妻小富士(奥)。
図4、パン皮状火山弾。高さ約1.5m。フランスパンのような割れ目が表面にできている。
●火山の恵み:温泉・硫黄・鉄鉱石
吾妻連峰には微温湯温泉、五色温泉、姥湯温泉、滑川温泉、大平温泉、新高湯温泉など、趣のある一軒宿の温泉がいくつも点在する。他にも、白布温泉、高湯温泉などもある。吾妻山周辺各地で地下から上昇してきた熱水(温泉)成分によって岩石が侵され、ボロボロ、グチャグチャの粘土になったり、硫黄や黄鉄鉱が生成して変質帯が広がっている。これらの温泉が硫黄成分を豊富に含むのは当然だ。吾妻火山の北麓には埋没する直径約15kmの板谷カルデラがある。古い時代(中新世後半~鮮新世)の火山だ。姥湯温泉や滑川温泉はまさにこのカルデラの中である。
吾妻連峰では、かつては硫黄や鉄鉱石(褐鉄鉱)を採掘していた。この名残もいたるところで見られる(図5)。白布温泉から中大巓への登山コースでは、まずロープウェイで上がるとそこは天元台である。そこはかつての硫黄鉱山跡なのだ(西吾妻硫黄鉱山)。精錬された鉱石は空中索道で北麓の鉄道駅まで運ばれていた。硫黄鉱山は高湯温泉付近にもあった。滑川温泉から東大巓への登山コース沿いでは、褐鉄鉱を採掘していた滑川鉱山の跡がある。登山道を進み眼下に滑川大滝を見下ろすことができる付近に、空中索道の高い鉄塔が建っている。大規模に稼行していた名残だ。さらに道を進むに連れ、錆びついた軌道、トロッコ、ほとんど踏み板が落ちた橋、対岸には露天掘り跡などが見え隠れしてくる。滑川温泉南方、霧の平への登山道沿いや東大巓北方の立岩などでも、今でも採掘した穴をいくつも見ることができる。
吾妻山南斜面を刻む中津川沿い、山の奥深くに幅広の道が続く。古い登山地図には書かれているが、最近の登山地図ではどうだろうか。中津川沿いに登山道があり途中から険しい沢登りだが、かつては主稜線まで踏み跡がかなりあったようだ。今では一部を除きほとんどわからなくなっているが、麓に登山コースであるかのような古い看板が立っている。途中には石垣があったり、岩をくり抜いた狭いトンネルや対岸に渡る橋もある。「そうだ、この道は途中までトロッコ軌道だったなのだ。だから道幅が十分広かったのか」と気がついた。「もしかして鉱山道か」と想像したが、わずか10年間だけ使用された材木運搬用の森林鉄道だと下山後に教えられた。
図5、褐鉄鉱を掘っていた露天掘り鉱山の穴。吾妻山北麓。
●火山のつくる滝
吾妻山の溶岩がつくる滝はたくさんある。吾妻火山は厚い安山岩溶岩を流出するような噴火が多かったため、溶岩が造瀑層となり、垂直あるいはオーバーハングした滝が多い。そのため、沢登りでも直登することはかなり難しい。だが、溶岩の様子(産状)を観察するには好適な場所だ。柱を束ねたような柱状節理や、板を重ねたような板状節理が見事に発達する滝にも出会えるだろう。滝の一例を挙げよう。
米沢市から大平経由で藤十郎方面へ登り、途中から急傾斜の谷斜面を下ると一軒宿の大平温泉に着く。登山道を外れ、上流へ少し谷をたどるとめざす火焔(ひのほえ)滝(図6)に出会う。滝そのものの落差は25mとされるが、右岸での溶岩の厚さは60mに達し、柱状節理が見事に形成されている。滝の脇では、ほぼ垂直に伸びる柱状節理が階段状に切れており、めずらしく比較的直登しやすい滝だ。といっても見た目ほどではなく、初心者が登れる滝ではない。沢登りの熟達者のみだ。さらに上流には、同じ安山岩溶岩でできた剣隠滝がある。そしてこれを越せばたどり着ける、溶結凝灰岩が造瀑層となった滝に出会えるのだ。安山岩溶岩ではないのは吾妻連峰では珍しい。
図6、柱状節理のある火焔(ひのほえ)滝。