頸城三山

(2008年1月)

 

 長野県と新潟県の県境に頸城山塊(図1)とか北信五岳などと呼ばれる山並みがある。この地域は地質学的にはフォッサマグマの北部、火山も多いがすべてが火山ではない。ここではそのうち頸城三山と呼ばれる山を紹介する。

 

図1.頸城山塊の山並み。西南西、北アルプスの風吹岳北方より。A:雨飾山、Y:新潟焼山、H:火打山、M:妙高山。雨飾山は頸城三山に比べ標高が400m以上低い。

 

妙高山(図2)
 妙高山は活火山だ。といっても、いつ噴火したんだ? と思うだろう。活火山の定義は過去1万年以内に噴火した、あるいは、現在活発な噴気活動が認められる、というものだ。ここ1万年間では10数回の小規模な水蒸気噴火あるいはマグマ水蒸気噴火を繰り返し、火砕流や溶岩流を噴出するマグマ噴火も4回はおこっているのだ。最新のマグマを出した噴火は4,200年前、最新の水蒸気噴火は3,000年前である。また、南地獄での噴気活動も活発であり、北地獄谷とともに温泉が湧出し、下流に引湯して利用されている。赤倉温泉や燕温泉などがそれである。なお、妙高火山群というときは、妙高や新潟焼山のほか、活火山ではない飯綱山、黒姫山、そして斑尾山を含む。
 妙高火山の活動開始は約30万年前である。しかし、それからずっと連続的に噴火していたわけではない。多世代火山と呼ぶ人もいるが、いくつかの火山活動が休止期を挟んで重なっているのだ。2代目の火山は14-11万年前、3代目は8-5万年前、そして現在が4万年前から続く4代目というわけである。ほとんど同じ位置に噴火の中心があったため、重なりあっている複式火山なのだ。
 山頂部には東に開いた馬蹄形カルデラがある。カルデラは北東側の神奈山から反時計回りに大倉山、三田原山、そして南の赤倉山へ外輪山地形が明瞭に続く。東側は、白田切川と大田切川の流路方向にカルデラが開くが、その間にそびえる前山もカルデラ縁の一部である。そして、カルデラの中に中央火口丘の溶岩ドームがそびえている。馬蹄形カルデラができた時期はもちろん4世代目の火山活動の時期である。妙高山は東側に広い裾野を引くが、山頂部が崩れた時の堆積物やその後の土石流が広い扇状地を作っている。なお、中央火口丘の山麓や山腹にある大正池や光善寺池は、その形状から小規模な爆発が起こった火口跡と考えられているが、その形成時期はごく新しいものの、よくわかっていない。
 このカルデラから流れ出る大田切川に懸かる大滝やその上流の惣滝は、いずれも厚い溶岩流に懸かる滝である。惣滝は4代目の、大滝は初代の火山から流れ出た溶岩だ。また、南側の関川に懸かる苗名滝も溶岩流に懸かる。しかし、これは妙高火山の溶岩ではない。南の黒姫火山から流れてきた溶岩だ。これらの滝では溶岩が固まるときに冷えてできた節理(割れ目)、特に、柱を縦に並べたような柱状節理が観察できる。
 西にそびえる火打岳との間に湿原がある。そこには天狗の庭や黒沢池、高谷池などがある。この場所も妙高火山の一部だ。天狗の庭と高谷池は初代の火山から噴出した溶岩流の上面に形成されている。ただし、天狗の庭の大きな池は、溶岩流が水に触れてできた二次的な噴火口ではないかともいわれている。それに対し黒沢池は、3代目の火山と初代の火山との間のすき間にできた窪地がのちに埋まってできた湿原地帯にできている。東側の黒沢岳の溶岩は初代の火山、東側の外輪山を構成する三田原山の溶岩は3世代目の火山噴出物なのだ。
 天狗の庭や高谷池周辺の平坦な地形のちょうど北側は、ガバッと削られた地形になっている。地質的には初代目の妙高火山の一部だ。まさにここの稜線が南北非対称の稜線となっている。この一体ははたして大規模に崩壊したできた地形であろうか。地すべりブロックらしき地形も見られる。しかし、ここを氷河作用で形成されたU字谷とみなす考えもある。氷河の痕跡である擦痕やモレーンがあるともいう。ただ、立山や白馬岳などのようにアプローチが容易でないためか、あまり研究は進んでいないようである。

 

図2.妙高山の中央火口丘と外輪山。中央火口丘の右が外輪山の一部、神奈山、左が赤倉山。

 

火打山(図3)
 妙高山と新潟焼山に挟まれ、名前は火山を思わせる。漢字は異なるものの、尾瀬にある「ひうち」は間違いなく火山だ。しかしここ頸城三山の火打山は“火”がつくものの、火山ではない。少し古い時代、1500万から1000万年前に海底にたまった泥や砂の地層がその後の地殻変動で隆起してできた山である。この辺り一帯は隆起が激しい。本格的な隆起は第四紀になってからであることが、周りに堆積した当時の礫層の研究からわかってきている。それでも頸城三山のなかでは最も標高が高い。なお、山頂の北西側には“ひん岩”と呼ばれる小さな岩体が貫入している。

 

図3.火打山と焼山(左奥)。妙高火山の溶岩からできている南東の黒沢岳より。

 

新潟焼山(図4)
 その誕生はわずか3,000年前の若い活火山である。日本でも最も若い火山の一つだ。1974年の水蒸気噴火で3名が犠牲になって以来、山頂周辺は長いこと立ち入り禁止のままである。歴史時代にもたびたび溶岩流や火砕流を出している。焼山で最大規模の火砕流、早川火砕流は約1000年前に噴出した。北側の早川沿いに6km以上、段丘状に続いている。また、笹倉温泉から南に上がった台地を作る前山溶岩も同じ頃の噴火で流れた。地形図で見れば波打ったようなおもしろい地形をしているのがわかる。これは溶岩じわと呼ばれるものだ。古文書にはその頃887年と989年の2回、大きな噴火が記録されているが、この火砕流と溶岩を噴出した噴火はそのどちらなのかは特定できていない。そして山頂部の溶岩ドームは1361年に形成された。きれいにお椀を逆さまに伏せた形をしており、火山の専門家でも北アルプスの焼岳となかなか見分けがつかない。名前も混同されるくらいだ。最新の火砕流は1773年に噴出し、その後は溶岩ドーム山頂部での水蒸気噴火が時折続いており、新しいところでは1983年、1997-8年に小規模な水蒸気噴火が発生している。割れ目を作って噴火するところなど、焼岳ともそっくりだ。
 もし小規模な噴火が起きた場合でも、気がつかないことがある。遠望する以外、なかなか近づくことがない山だ。天候が悪く遠望がきかない場合、少しだけの火山灰が噴出しても爆発音がそれほど伴わなければ、見過ごされてしまう可能性がある。

 

図4.北方より望む焼山溶岩ドーム。北アルプスの焼岳とほとんど区別がつかない山容。

 

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