阿蘇火山

(2008年4月)

 

 日本には最も活動的と分類される活火山(Aランク)が13あるが、その中でいちばん簡単に火口をのぞき込むことができる山が阿蘇山だ。活動の平穏時には中央火口丘の一つ、中岳の火口縁まで観光客が押し寄せている。

 阿蘇カルデラは世界的にも最も有名なカルデラの一つである。東西18km、南北25kmの壮大なカルデラ地形とその外側に緩い傾斜の火砕流台地が広がり(図1)、カルデラを取り巻くカルデラ壁の高さは300-700mの急崖となっている。このカルデラは大量のマグマを火砕流として噴出した結果、陥没してできた凹地形である。その中に、高岳を最高峰とする中央火口丘群が東西に並んでいる。中央火口丘群は、北方から見ると涅槃の像に似ているとよくいわれる(図2)。このカルデラとその後に活動した火山群(中央火口丘)をあわせて阿蘇火山と呼ぶ。なお、中央火口丘は、カルデラの後に生まれた火山という意味で、後カルデラ火山ということもある。

 

図1:阿蘇火山の地質図。カルデラの中央東西に中央火口丘群が広がる。陰影をつけて地形が立体的に見えるように加工してある。地質図(阿蘇火山地質図、地質調査所1985年発行)に国土地理院の数値地図50mメッシュ(標高)を使用して陰影をつけた。

 

図2:久住高原より見た阿蘇中央火口丘群。左端の根子岳は中央火口丘ではないことがわかっている。涅槃像とみなすとき、根子岳が顔、高岳が胸だ。

 

カルデラ
  阿蘇カルデラの形成が始まったのは約27万年前だ。爆発的な噴火で大規模な火砕流(阿蘇-1火砕流と呼ぶ)が発生し、最初のカルデラが形成された。これを含め、大規模な火砕流が4回発生したことがわかっている。この最後、9万年前の火砕流は阿蘇-4火砕流と呼ばれ、九州中部から北部を数mから数10mの厚さで埋め尽くし、一部は瀬戸内海を渡った。高速で流れる火砕流と同時に成層圏まで吹き上げられた火山灰は風に流され日本全土を覆い、北海道東部でも15cmの厚さで降り積もったのだ。こういう火山灰が地層中から見つかれば、その地層のたまった時代に正確な時間軸を入れることができる。こういう火山灰層を鍵層(かぎそう)と呼ぶ。日本のこの時代を研究する考古学者や地形学者などにとっては重要な火山灰だ。
 阿蘇カルデラを中心に広大な火砕流台地が広がっている。現在のカルデラは何回かの大噴火で形成されたカルデラの集合した(重なり合った)ものであり、しかもその後の崩壊でカルデラ壁はどんどん後退し、カルデラ自体は広がってきている。大規模噴火でカルデラができ、その中に中央火口丘ができる、そして破壊する、それの繰り返しの歴史である。かつては北海道の支笏湖や洞爺湖のように、水を満々とたたえたカルデラ湖が形成されていたかもしれないことを想像してほしい。
 ボーリング資料によると、最後の阿蘇-4火砕流以降、すなわち、最後のカルデラ噴火後に少なくとも3回は湖が形成されたことがわかっている。カルデラ形成直後にできた最初の湖は、海面下300mから600mの深さだった。現在のカルデラ内の平坦面(カルデラ床)が標高400mから500mであることを考えると、カルデラがずいぶんと深かったことが明白だ。長い年月の間に、カルデラ壁が崩れたり、中央火口丘が活動して溶岩を流したりしてどんどん埋め立ててきているのだ。


中央火口丘
 高岳の東の根子岳は、中央火口丘ではない(図3)。かつては中央火口丘とみなされていたが、詳しい地質調査、岩石の性質、年代測定から明らかになった定説だ。カルデラ外側の鞍岳や俵山などと同じく、ここは阿蘇カルデラの形成よりも前に生まれた成層火山である。風雨にさらされ浸食によりカルデラ壁が後退した結果、姿を現した古い火山なのだ。ここはクライミング技術を備えたエキスパートだけが登る山だ。厳密に言うと、阿蘇火山ではない。阿蘇火山より前の火山、ということになる。だが、最初のカルデラ形成以前に、富士山型の大型の火山があってその山頂部にカルデラができたのではない。阿蘇には独立したいくつもの小さな火山があったのだ。

 

 図3:北方よりみた根子岳。左右には緩斜面が広がるが、山頂部は浸食が進み、鋸状になっており、一般登山者を受け入れない。手前左はカルデラ壁。


 中央火口丘群は高岳、中岳のほか、多くの火山が集まっている(図4)。やや山麓に離れた米塚は整った形のスコリア丘(図5)、草千里ヶ浜はまさに火口そのものだ。草千里の火口は中央に目立つ高まりがあり、よく見ると二重の火口構造となっていることがわかるだろう。烏帽子岳火山の山腹にできた火山の大きな火口だ。
 九州でも有名な岩場の一つとなっている鷲ヶ峰は、一部を比較的新しい高岳火山に覆われた古い中央火口丘の一つである。同じくロッククライミングの対象となっているすぐ横の根子岳とは、同じ阿蘇でも山のでき方が全然違うのだ。

 

図4:阿蘇火山地質図の一部。多くの中央火口丘が色分けされている。右端は、かつては火砕流に覆われていたが、カルデラ壁が後退して地表に姿を表した古い根子岳。

 

図5:中央火口丘の一つ、米塚。高さ80m。北側(裏側)に広がって流れた溶岩流には、溶岩トンネルが発達している。後方の崖がカルデラ壁。

 

噴火活動
 阿蘇の噴火はかなり古い時代から記録されている。古文書には6世紀とか7世紀にはすでに書かれているという。ただし、有史時代には溶岩の流出は一度もおこっていない。火口底にマグマが現れてもその破片(スコリア)が放出された程度だ。明治時代には第1火口より南の火口や砂千里でも噴火がおこっている。
 現在活動中の火山は中岳だ。この中岳自体にもいくつもの火口があり、大きく三重の構造になっている。現在活動中のものはその最も内側の火口の一つ、第1火口と呼ばれる火口だ。活発でないときは湯だまりができ、湯気を上げる(図6)。活動が活発になるとたまっていた湯が蒸発し、火山灰を放出する灰噴火(図7、地元では「ヨナ」と呼ばれる)が多くなり、赤熱のマグマ片を放出するストロンボリ式と呼ばれるタイプの噴火がおこる場合もある。これらの噴火だったらそう大きな被害はないだろう。

 図6:中岳第1火口の湯だまり(1999年)。噴火がおこらず静穏な時期だ。火口壁には火口から噴き出されたものが層になって積み重なる。

 

 図7:中岳第1火口の灰噴火(1989年)。湯だまりは干上がり、火山灰の混じった噴煙をもくもくと上げ続ける。

 

 最も怖ろしいのは爆発的な噴火がおこったときだ。火砕サージと呼ばれる火山灰や岩塊を含む横なぐりの噴煙が発生することがある。近年でも火口周辺の施設が壊されたり、人的な被害も出ている。昭和時代になって以降は10回程度(数年に1度)、死者や負傷者が発生した。これらは噴石によるもの、火砕サージによるもの、火山ガスによるもの、いろいろな被害である。噴石とは火口から吹き飛ばされてくるもともとそこにあった岩だ。噴石が飛ぶ範囲は火口から1kmちょっとだが、とてつもない大きさの岩塊が弾道を描いて飛んでくることもある(図8)。
 最近の阿蘇火山の活動には、湯だまりの減少、土砂の噴出、灰噴火、火炎現象、そしてストロンボリ式噴火や爆発的噴火になるという規則的な変化が見られるらしい。しかし、必ずしもこうならないこともあるので要注意だ。火炎現象とは、火口底に噴出した高温の火山ガスが燃え、炎のように見える現象である。このように火山ガスが燃焼したり、あるいは、赤熱のマグマが火口底に現れたときに、その明るさが暗闇の中で噴煙や雲に映って赤く見える現象を火映現象という。よく似た言葉だが異なる現象をさす。

 

 図8:中岳第1火口から砂千里付近まで飛んできた噴石(白い岩塊)。当たったら建物も人間もひとたまりもない。 

 

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