栗駒山

(2008年7月)

 

 栗駒山は宮城・岩手・秋田3県にまたがるなだらかな山だ(図1)。東北地方の脊梁をなす奥羽山脈上に位置し、溶岩流や溶岩ドームが卓越する活火山だ。主峰の栗駒山(1,628m)を中心とした栗駒火山体を含め、6個の火山体が集合している複合火山である。火山活動の開始は50万年前よりやや古い頃である。現在の山頂より南部の地域から開始し、北東部の笊森、西部の秣岳の形成がこれに次いだ。これは40万~30万年前のことである。その後活動は中心部に収斂し、約10万年前までに東栗駒火山体が形成され、そして主峰部の栗駒火山体の形成へと続いた。

 山頂の北-北西側にやや不明瞭だがさしわたし約2.2kmの崩壊した地形がある。これが須川爆裂火口だ。北西方向に開口し、山が大崩壊した跡だ。その火口内には剣岳溶岩ドームを中心とした剣岳火山体がある。この溶岩ドームも北半分が欠損しており、再び大崩落したようだ。須川爆裂火口の形成時期は10万年前よりは新しい。剣岳溶岩ドームがこの火山での最後のマグマ噴火だ。

図1:名残ヶ原より望む栗駒山山頂部。右手前に“ゆげ山”の噴気が見られる。

 

 その後は小規模な水蒸気爆発だけがおこっていたようだ。有史の噴火記録は18世紀の前半(1716~1736年の享和年間)、1744年噴火、そして1944年噴火が記録されている。その後は温泉の酸性度が強まったり白濁したり、群発地震がおこったりしているだけだ。
 1944年11月20日、小規模な水蒸気爆発がおきた。これにより新火口が形成された。これが昭和湖である(図2)。この場所はもともと湿原だったようだが、この噴火後、凹地に水がたまるようになったようだ。昭和湖を含む凹地全体がこの噴火で形成されたわけではない。この時の噴出物は登山道沿いの沢(地獄谷)に分布する、変質した岩塊を含む火山泥流堆積物である。

図2:昭和湖と剣岳。昭和湖の手前にたまる土砂は1944年の噴火によるものらしい。


 栗駒山北方には小規模な水蒸気爆発の痕跡と思われる産沼火口などの小さな火口があり、池になっていることが多い。いつできたものなのかはわからない。地質学的に調査された結果では、栗駒火山では約5,500年前から西暦915年までの間に少なくとも2回の水蒸気爆発があったことがわかっている。これは、十和田火山から飛来した時代のわかっている2枚の火山灰の間に、栗駒山起源の2枚の薄い火山灰層が挟まれることからわかったのだ。だが、この噴火がどこでおこったのか、詳しいことはまだ解明されてはいない。

 山頂北西の須川温泉は、日本でもまれな強酸性のみょうばん緑ばん泉だ。湯温は50℃を超え、pHは2を下回る数字だ。源泉からの湧出量は毎分6000リットルに達し、一カ所の源泉から湧出する量として国内第2位だという。そのほか、駒ノ湯、湯の倉、温湯など、山の中の小さな温泉を山懐に抱えている。なお、須川温泉と剣岳の間ではかつては硫黄の採取・製錬も行っていた。現在でも、昭和湖下流側の地獄谷(図3)やゆげ山(図1)では小規模ながら噴気活動が続いている。

 図3:栗駒山と地獄谷の噴気。地獄谷を上がると昭和湖火口。

 

 さて、2008年6月14日、M7.2の「平成20年岩手・宮城内陸地震」が発生し、大きな被害をもたらした。その震央は栗駒山山頂の北東10 kmの場所だ。地質図(図4)を見ると、古い時代の地層を切る断層は確かにあったのだが、この場所はこれまで活断層の存在はまったく知られていなかったのだ。
 栗駒山の南西、鬼首カルデラにある片山地獄で噴気量が増えたとの報道もあったが、それほどの変化はないらしい。栗駒山での噴気量にもとりたてて変化はない。火山性ではない地震に伴って火山活動が活発化した例は過去の富士山などで知られているが、今の栗駒山はそういう状況ではないという。ただ、火山性の堆積物がくずれた地すべりなどにより、火山の恵みである温泉も今回の地震で大きな被害を受けてしまった。

 

図4:栗駒山周辺の地質図。星印は2008年6月14日、M7.2の「平成20年岩手・宮城内陸地震」の震央位置。その場所は黒い線で描かれる断層上にあるが、これは活断層とはされていない。この地質図は、20万分の1地質図「新庄及び酒田」(地質調査所、1988年発行)に地形陰影をつけたもの。

 

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