乗鞍岳

(2008年8月)

 

 標高3,026mの乗鞍岳は、日本海と太平洋を分ける日本一高い分水嶺です。信州側は梓川から信濃川に合流して日本海へ、反対では飛騨川から木曽川に合流して太平洋へ注ぎます。そして間違いなく日本一、山頂へのアプローチが簡単な3,000m峰です。それは戦前につくられた道路のおかげです。しかしそのため、自然破壊がずいぶんと進みましたが、2003年からは一般車両の立ち入りが制限されるようになりました。最近、雷鳥の棲息数が増加しているという、うれしいニュースを耳にしたばかりです。自然は少しずつでも回復していくのでしょうか。


図1:乗鞍高原より見る冬の乗鞍岳。南北にいくつものピークが連なる。

 

 ここには標高2,500m以上の峰がいくつもあります。乗鞍岳全体では主稜線が南北に続いていますが(図1)、それは火口が南北方向に並んでいるからです。というのは、噴火活動の場所が移動して、どんどん水平方向に山を広げてきたのです。乗鞍のようなタイプの火山では、山頂火口を中心に山は高く大きくなっていきますが、やがてその活動は終わりを迎えます。そして、時をおいてまた別の場所で火山活動が始まるのです。とはいっても、まったく不規則な場所に火口ができるのではなく、ある程度規則的な場所に火口すなわち火山活動の中心が移ります。乗鞍火山の場合、南北方向に延びた直線上を火山活動の中心が移動していたのです。それが、現在の乗鞍火山をかたちづける大きな特徴になっています。
 また、火山活動は単に場所が移動しただけではありません。乗鞍火山が生まれてから現在までの間、途中に長い休止期間がありました。古い火山は86万年前に活動を停止しました。再び活動が始まったのは今から32万年前です。古い火山と新しい火山は歳の差が大きく、親子関係でしょうか。それとも孫と子供でしょうか。いずれにしろ、全体を1つの火山というよりも古い乗鞍と新しい乗鞍の2つの火山と考えるべきです。このように、いくつもの火山が重なり合ってできあがっている火山を複合火山と呼びます(図2)。

 

図2:乗鞍火山の地質陰影図。5万分の1地質図「乗鞍岳」(中野ほか、1995)に地形の陰影をつけてある。Y;四ッ岳溶岩ドーム、E;恵比須火口、B;番所溶岩、K;剣ヶ峰(権現池)火口、S;千町尾根。

 最初に生まれた火山は千町火山体と名付けられました(図3)。南の千町尾根を中心に山体が残っているからです。128万年前にも活動した痕跡が谷底に残っていました。しばらく時間が経って86万年前までの数万年間で一挙に成長したようです。現在の剣ヶ峰付近を中心にほぼ円錐形の山容を作っていました。この時の火山を古期乗鞍火山と呼びます。
 この火山の成長が止まって約50万年間以上もの長い間、火山は活動しませんでした。その間に、山容を変えるような大規模な山崩れがおこったようです。特に北半分はそっくり崩れ去り、今ではこの火山体はもとの南側しか残っていません。その尾根線が現在の千町尾根なのです。東西に延びる尾根のやや湾曲した形は、それが馬蹄形の崩壊カルデラであったことをうかがわせます。
 約32万年前、新期乗鞍火山の活動が始まりました。まず烏帽子岳付近を中心とした烏帽子火山体が成長しました。12万年前には2つの火口を持つ成層火山が完成していました。
 その後、南側で権現池・高天ヶ原火山体が10万年前に活動を始めました。その成長の間、烏帽子火山体は山崩れや激しい谷頭浸食により、4万年前までにすでにその3分の1がなくなってしまっていました。
 約4万年前に四ッ岳火山体が、そして約2万年前には恵比須火山体が、それぞれ浸食された烏帽子火山体の上に成長しました。最後の大規模な噴火は権現池・高天ヶ原火山体での溶岩流出です。すでに形成されていた権現池火口から西側にあふれ出ています(図4)。それは約9,000年前のことです。これで今日見られる乗鞍岳のかたちがほぼできあがりました。その後の噴火活動は、小規模な水蒸気爆発だけが認められています。

 

 図3:乗鞍火山の復元図。東側から見た成長の歴史を時代を追って復元した。上が現在の姿、いちばん下が86万年前の姿。

 

図4:剣ヶ峰火口の権現池。ハート型をした美しい山上湖。


 火山には山上湖が多い特徴があります。それは、火山活動により吹き飛ばされたり落ち込んだりして凹地ができやすいからです。代表的なものは、カルデラや火口に水がたまったカルデラ湖や火口湖です。そのほか、溶岩流や山崩れの土砂が川をせき止めるせき止め湖、溶岩の平坦面上のちょっとした窪地にできる小規模な湖沼や池溏などがあります。信州側の乗鞍高原や飛騨川の五色ヶ原などの麓まで含めると、乗鞍岳ではいろいろなタイプが見られます。
 カルデラ湖はありませんが、乗鞍岳を代表する火口湖は権現池です。肩の小屋から剣ヶ峰をめざして急斜面を登り、火口の縁に達すると、青く澄んだ美しい権現池が眼下に見えます(図5)。また、畳平駐車場のすぐ裏の恵比須火口には亀ヶ池があります。この名前は、日本で初めて周氷河現象の一種、亀甲砂礫が発見されたことに由来します。といっても、崩れた岩塊で池はほとんど埋まってしまっており、今ではほとんど観察できません。そのほかに不消ヶ池や鶴ヶ池があります。不消ヶ池は真夏でも雪が残ることがあります。鶴ヶ池はその形が鶴に似ていることから名付けられました。どちらもかつては火口湖といわれたことがありますが、いずれも確かな火口跡ではなさそうです。肩の小屋の北西側に、合わせて五ノ池といわれるいくつかの小さな池があります(図6)。この場所は、溶岩流によりせき止められた谷の源頭部にあたります。また、畳平の北西側、稜線から少し岐阜県側に下ったところに大丹生池や土樋池がありますが、いずれも新しい溶岩流が谷をせき止めて生まれました。

図5:南方より空撮した剣ヶ峰火口。手前は古い時代の千町尾根。

 

図6:五ノ池とそれをせき止めた室堂溶岩。もともとは谷の源頭部だった。

 

 さて、山頂や高原には山上湖がありますが、忘れてならない存在に「滝」があります。乗鞍岳には多くの滝が懸かり、平湯大滝や番所大滝、三本滝などは古くからの観光スポットです。それに加え最近、飛騨側の久手御越滝や青垂の滝へも散策路が作られました。そのほか、人知れぬ場所にも多くの滝があります(図7)。落差いちばんはどこ?と訊かれれば、地形図にない全く無名の滝です、と答えるでしょう。そこへはきびしい沢登りとなります。地形図にない大きな滝が目の前に現れたとき、それは大きな驚きでもあり、喜びでもあり、そしてそれを越えなければならない不安感に満たされます。

 

図7:南麓、ダナ東谷にかかる滝。

 

 北の焼岳、南の御嶽山、いずれも盛衰を繰り返している活火山です。そして乗鞍火山も活火山の一つです。今は噴火の兆候は全くありません。しかし、いつの日か再び活動を始めることは大いに考えられます。その場所は山頂付近なのか、それともぜんぜん違う場所なのか、全く予想すらできません。再び新しい火山体の成長が始まるかもしれませんね。

 

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