茅ヶ岳・金ヶ岳・黒富士

(2008年12月)

 

図1:金ヶ岳南方より見る茅ヶ岳。

 

 茅ヶ岳(図1)は「日本百名山」の著者、深田久弥氏の終焉の地であり、「ニセ八ッ」としても知られている。中央自動車道やJR線で東京方面から甲府盆地へやってくると、やがて右手奥に見えてくる。八ヶ岳が見えるはず、と期待する場所に茅ヶ岳があり、その山容が八ヶ岳に似ているのだ。この茅ヶ岳を中心とした山体は、正確にはわかっていないのだが、おそらく約100万年前から40万年前頃まで活動していた火山だ。戦前に調査した地質学者は茅ヶ岳火山と呼んでいたのが、その後、黒富士火山と一括されることが多くなった(図2、図3)。東側の黒富士を中心として部分が主な火山体で、茅ヶ岳を中心とした部分はその上にできた“寄生火山”だからと説明している。その理由の良し悪しは別として、ここでもとりあえずそう呼ぼう。ただし、この火山の最高峰は茅ヶ岳(1704m)でも黒富士(1633m)でもなく、金ヶ岳(1764m)である。なお、この火山群の北東方向、それほど遠くない木賊峠付近にも同じような岩石が分布し、木賊峠火山と呼ばれている。これを“広義の黒富士火山”に加えてよいような気もするが・・・。
 この火山は大きく2つの部分に分けることができる。古い部分は火砕流台地とその上に噴出した溶岩ドーム群(狭義の黒富士火山)だ。その上に乗るのが茅ヶ岳・金ヶ岳を中心にした成層火山である。

 

図2:黒富士火山の地質図。国土地理院の標高データを使って地形陰影をつけてある。横幅7.4km。地質図は地質調査所1984年発行の5万分の1地質図幅「御岳昇仙峡」。黒富士を含む赤色部が溶岩ドームと岩脈。金ヶ岳と茅ヶ岳を含む淡緑色部が茅ヶ岳成層火山体、ハッチ模様のついている肌色系の部分が火砕流の分布域。

 

 図3:南方より見る黒富士(右)と茅ヶ岳(左)。


黒富士

 最初の火山では、噴出した火砕流は広範囲に広がり、それほどの山は作っていない。火砕流は南の甲府盆地まで達している。山となっているのはその後に噴出した溶岩ドームだ。もとの火砕流を噴出した山はなくなったのかもしれない。溶岩ドームとしては黒富士のほか、曲岳(図4)、そして太刀岡山(図5)などが主なものだが、金ヶ岳の北側にもいくつか見られる。単独のぽこぽこした山を作るというよりもいくつもの山がつながっている感じだ。この中のひとつ、南側山麓の太刀岡山といえばフリークライマーによく知られている場所のひとつだ。“カリスマ”などに代表される山梨県屈指の高難易のルートがいくつも開拓・登攀されているのだ。溶岩ドームを作るデイサイトの硬い岩石の壁であり、部分的に柱状節理もできている。なお、観音峠より北方には「甲府幕岩」と呼ばれる、1990年代に開拓が始まったクライミングゲレンデもある。そこは火砕流の崖、これも黒富士火山の噴出物だ。黒富士火山の5回に渡る火砕流噴火のうち、最後の段階のものだ。溶結して固くなり、含まれる岩片が扁平に変形していることもあり、わかりにくいがかなり粗い柱状節理になっている。いわゆる“溶結凝灰岩”である。
 黒富士の山体の周りには10本以上の比較的厚い岩脈も見られる。地下をマグマが上昇してきた跡だ。というよりも地表に噴出したマグマのしっぽが固まった部分だ。天然記念物の燕岩もその一つの岩脈である。この火山のマグマは、デイサイトという安山岩と流紋岩の中間的な粘りを持つマグマで、さらさら流れて粘性が低い玄武岩のように薄い岩脈とはならない。幅が40mにもなるような厚いものまである。

 

図4:金ヶ岳方面より見る曲岳溶岩ドーム(左)。右端は太刀岡山溶岩ドーム。

 

図5:太刀岡山溶岩ドーム。左奥は曲岳。


茅ヶ岳・金ヶ岳

 このような形態の火山の上に、すこし時間をおいて安山岩質の成層火山が生まれた。火砕流や溶岩流(図6)を何回も噴出して成長し、もともとは円錐形の火山だっただろう。一部は岩脈として下の火砕流も貫いたものが残っている。その代表例のひとつは金ヶ岳-観音峠間に露出する岩脈だ。登山道沿いに「船首岩」の看板があるが、昔の文献に「鎧岩」とでてくるのはおそらくこの岩だろうか。両側が切り立った壁になっており、周囲の地層(火砕流)に触れてマグマが急冷された部分に細かい柱状節理が並んでいるのが見えることがある(図7、図8)。柱状節理とは、マグマが冷えて固まるときに体積が収縮してできる節理だ。
 この山の最高地点は金ヶ岳である。この場所は稜線の方向に沿って延びた火道だったらしく、まさにこの火山のマグマが上昇してきた跡なのだ。岩脈と違い、何度もマグマが上昇し、最後にそこを満たしたまま固まった岩石である。岩脈は板状だが、火道(岩頚)は円筒状だ。そこを埋めるのは必ずしも溶岩のような硬い岩石とは限らない。岩脈は、基本的には一度だけマグマが通過しただけだが、成層火山の中心部では、噴火は同じ場所から繰り返しおこる。火山活動が終え、その場所が固まると、細かい火山灰だったり、くずれてきた破片だったり、ゆっくりと冷えた岩石だったり、さまざまな見かけになりうる。火山としての中心はやはり茅ヶ岳ではなく、最高峰の金ヶ岳であった。もちろん、現在よりももっと高い山だったのだ。火口も削られ、その下のマグマの通り道が露出しているのだ。山全体も浸食され、火山らしい形態は残っていない。

 

図6:茅ヶ岳南方、女岩の厚い溶岩流の露頭。

 

図7:火砕流を貫いてそそり立つ“鎧岩”。

 

図8:“鎧岩”左側の拡大写真。岩脈の冷却に伴う細かい柱状節理が発達する。

 

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