1、 消えた「たたら製鉄」

 日本列島で昔より行われてきた製鉄法は、よく「たたら製鉄」と呼ばれています。しかし、東北地方では「どうや」とも言われたりしますので、言い方は複数あるようです。
 「たたら」の語源についても諸説ありますが、その中の1つに「タタール(Tatar)人」との関係が上げられています。一般的には遊牧民族とされているタタール人ですが、高い青銅文化を持ち、鉄の生産とも深い関わりがあることもわかってきました。
 この「たたら製鉄」は、いったいどんなものだったかと言うと、実はいろいろな方法があり、また歴史的にもさまざまな変化や発達がありました。でも、かんたんに言えば、原料となる鉄を含む鉱石と、燃料として木炭や薪(まき)などを使い、金属鉄(人間が使える鉄)をつくる方法です。
 古くから、たたら製鉄は山陽、山陰地方で盛んでした。特に奥出雲が有名ですが、それは江戸時代の中期以降に「大だたら」が盛んになったからです。東北では岩手県が知られていますが、「小だたら」製鉄は全国各地で行われていました。しかし明治時代に入ってからはどんどん近代製鉄の工場ができて、安くて質の良い鉄鋼材料が市場に流通するようになり、とうとう大正12年(1923年)に大だたらの火は消えてしまいました。


目次 次へ