「丸石にめざめた日」
1、新潟県の硬玉ヒスイの里で
それは1999年の10月のことだった。空は青く晴れ上がり、さわやかな秋の日。私はSと2人で新潟県のヒスイの里、青海町の親不知海岸へ向かっていた。Sの仕事は地質屋で、この日は親不知火山岩類(数千万年も前の火山の石)の調査だ。
車を走らせて行くと、右手道路端にかの有名な親不知の看板が出てくる。観光バスも止まる名所なので団体さんや親子連れ、それにご年輩の夫婦や赤ちゃん連れまでピクニック気分の人たちがたくさんいる。Sのいで立ちは腰に地質屋独特のカーキ色のバッグとハンマーを付けている。何となく場違いの雰囲気だ。駐車場から海岸へは道がちゃんとついているが、けっこう下へ降りなければならない。お年寄りにはけっこうきつそうだ。まあ、7〜8分も降りれば海岸へ出たが「これがあの有名な親不知?」と思うほど海岸は狭かった。しかし、ここは広い海岸で有名なのではなくて、断崖絶壁だから有名なのだから海岸は狭くて当然か・・・、などと1人で考えているうちに、Sはとっくに1人であちらこちらを見回っている。手ぶらで来た観光客はおよそ10分も浜辺にたたずんで海を眺めると、また降りて来た道をエンヤコラと登って行く。海岸で昼食を取ろうと食料を持参した人は、ゴミがチラホラ目立つ海岸でお弁当開きとなる。そうやってのんびりしている人たちには、楽しい食後の時間の使い方がある。それは「ヒスイ探し」だ。
親不知海岸は何も断崖絶壁の海岸だけで有名なのではない。そこは縄紋時代からの人々の夢「ヒスイ」が採れる場所として名高い。多くの人に「ひょっとして高価なヒスイが拾えるかもしれない」という夢を抱かせるらしく、大人も子供もビニール袋を片手に、下ばかり見て歩き回っている。Sはというと海岸を歩くそんな人たちにはまるで興味がないかのように、海とは反対側の崖下の方でコンコンとハンマーを振るったり、手帳を出してメモを取ったりしている。これはいつものことなので私は慣れているが、こんなにたくさんの観光客がいる所ではめったに見ない光景だ。なぜなら、地質屋の仕事は時として国立公園内で仕事をしたりしなければならない。そういう時には、本人たちはちゃんとそれなりの許可を取って仕事をしているのだが、一般の人から「あの人は国立公園内で石を泥棒している」と誤解を受けたりする危険性があるので、なるべく目立たないようにこっそり仕事をする。
「ヒスイ探しでもして待ってて。まあ、あるわけないけどね」
と私に言い残し、Sは仕事に夢中になっている。はたで見ているこちらは 「ちょっと、今日は目立ちすぎるのでは・・・」少々、心配になっていた。
と、そこに5歳くらいの男の子が目の前に立っていて 「ねえ、これきれいでしょ。これ、ヒスイかな?」と私に話しかけてきた。
「ほんとだ、きれいだね。でも、どうかな、ヒスイかな・・・? ヒスイを探すのはとてもむずかしいんだってよ」 「そうなの、それじゃあ、これ全部ちがうの・・・」と悲しがる。
「後であそこのオジサンに見てもらってあげるからね。あのオジサンは専門家だから」
と私はSの方を指さした。結果は残念ながらヒスイはなかったが、水晶があったし、緑色がきれいな蛇紋岩もあったので、それで子どもは満足した。
そこで私は考えた。<人は専門家の鑑定で満足する>
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