2.火山の概略(現在の姿)鳥海山という名前のついた山頂はない.八ヶ岳や乗鞍岳などと同様に山全体の総称である.新山,七高山,笙ガ岳など,すべてをひっくるめて鳥海山である.出羽富士とも呼ばれ,山形県庄内平野の,そして秋田県南部(本荘平野など)のシンボルである(出羽は秋田・山形両県の旧国名).この山は信仰の山であり,新山には大物忌神社の御本殿がある.
鳥海山は歴史時代に多数の噴火が記録されている活火山である.火山体の基底部の直径は東西約26km,南北約14kmに達し,日本でも有数の規模を誇る火山である.山体の北と南,特に北側の象潟平野−由利原高原には,山体の崩壊によりもたらされた火山岩屑(火山を構成する溶岩や火砕物が崩れて細かくなった大小さまざまな岩塊・岩片)が広く分布しており,これらの堆積物も含めると火山噴出物の分布域は南北に40kmを超えている(第1図).鳥海火山の噴出物は溶岩流が多く,それらは大部分が安山岩質である.わずかに玄武岩(高アルミナ玄武岩)質の溶岩も認められる.安山岩は斜長石斑晶に富んでおり,普通輝石,紫蘇輝石のほかに角閃石,かんらん石を斑晶として含むことがある.
第1図:鳥海火山にみられるカルデラ,崩壊地形,岩屑堆積物の分布
A:東鳥海馬蹄形カルデラ,B:西鳥海馬蹄形カルデラ
南方の庄内平野から望むとよくわかるが,地形からみると鳥海火山はおおまかに西部(西鳥海)と東部(東鳥海)に分けられている.“西鳥海”は,鍋森や鳥海湖を取り囲む,南西に開いた西鳥海馬蹄形カルデラを頂部に抱え,その西側には溶岩流に覆われたなだらかな山容が日本海に向かって広がっている.海岸線は溶岩の断崖になっていることが多い(写真2).山体の上部には東西ないし南東-北西方向に延びた北ないし北東落ちの正断層群が発達している.断層の最大垂直変位量は50mに達する.一方,“東鳥海”は,新山や荒神ヶ岳を取り囲む,北に開いた東鳥海馬蹄形カルデラを頂部に持つ山体であり,こちらが鳥海山の主峰である.山頂近くは30゚近い傾斜をなし,比較的なめらかな円錐形の山体で,東方から望むと確かに富士山に似た山容をみせており,出羽富士という呼び名もうなづける.
写真2:三崎海岸にみられる溶岩の断崖.中央右には東北でも屈指の難易度を持つフリークライミングのルートが開拓されている
鳥海火山の周辺,特に北と南には,火山岩屑よりなる堆積物が広く分布する.山体には,大きな2つの馬蹄形カルデラのほかにもいくつかの崩壊のつめあと(第1図では滑落崖と表示)がみられる.東鳥海馬蹄形カルデラは,2600年前の山体崩壊の跡である.この時の崩壊物が象潟岩屑なだれ堆積物と呼ばれている(岩屑なだれは岩屑流とも呼ばれ,山体の一部が崩壊して大小さまざまな岩塊・岩片となって高速で流れ下る現象である.泥流・土石流とは異なり,水を媒体としない.1888年の磐梯山,1980年のセントヘレンズで有名).特に象潟平野で目につく多数の比高50m以下の小丘は,この堆積物の一部であり,流れ山と呼ばれ,岩屑なだれ堆積物のつくる特徴的な地形である(かつては泥流丘とも呼ばれた).西鳥海馬蹄形カルデラの形成に伴う堆積物は,山麓に広がる扇状地堆積物や新しい溶岩流に覆われて確認されていない.車で鳥海ブルーラインを登ったところの5合目,鉾立の展望台から目の前に広がる奈曽渓谷(奈曽川中・上流の渓谷,奈曽谷とも呼ぶ)は,鳥海火山に刻まれる谷としては著しく幅が広く深い渓谷である(幅500-1000m,深さ300-500m).谷頭で広がっており(写真3),単に河川の下刻作用のみでなく,谷頭の崩壊により拡大したと考えられている.下流域に分布する古い岩屑堆積物がこれに相当する崩壊堆積物なのかもしれない.山体の北に広がる由利原高原に大量の火山岩屑を供給した崩壊地形は,新期の噴出物に覆われているためか,現在では確認することができない.また,西鳥海馬蹄形カルデラの南東にある二重の凹地形は,山体の南に広がる火山岩屑の供給源の可能性もある.
写真3:奈曽溪谷の広い谷頭部.奥に新山
山体崩壊による岩屑堆積物を除くと,鳥海火山には火砕流や降下軽石などの火山砕屑物が少ない.圧倒的に溶岩流が多いという点で,日本では珍しいとされている.「鳥海山及び吹浦」図幅で,○○溶岩の数が60を超えるのに対し(溶岩の枚数ではない.複数枚の溶岩をまとめて○○溶岩と名づけてあることが多い),□□火砕流と名前がつけられている地層単位はわずかに3つである.降下火砕物は,西鳥海馬蹄形カルデラ内の鳥ノ海火口(鳥海湖)周辺や千畳ヶ原に分布する鳥ノ海スコリアのほかには,東麓の溶岩台地(法体溶岩)を覆ってわずかに分布する程度である.したがって,降下火砕物を調べて層序を組み立てるテフロクロノロジーが,ほとんど活用できない.
鳥海火山がもたらした天然資源:火山といえばやはり温泉が期待されるが,残念ながら鳥海山の周囲にはあまりない(数カ所あるが,湯量も少なく,泉温も低い).鉱山としては,昭和40年以前に,沈澱型の褐鉄鉱鉱床が,小規模ながら数カ所で採掘されていたことがある.また,中島台東方の鳥越川左岸では硫黄の採掘が行われていたという.現在でも盛んに行われているのは,安山岩溶岩のブロックの採取である.日本海側の三崎付近にはいくつもの採石場があり,鳥海石または女鹿石と呼ばれ,庭石として販売されている.また,象潟平野では流れ山を崩して砕石として利用している.
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