もとの山はどうだったのか?

 立山火山の山体は著しく削られており、噴出火口が推定できるようにもとの山体を復元することは困難です。第1a期については、火口のごく近くに堆積したと考えられる火砕岩(アグルチネート)や岩脈が鳶山の南に存在することから、少なくともその一部は五色ヶ原より南方から噴出した可能性が考えられます。第1b期の五色ヶ原の噴出物では、鷲岳よりも北西−西方向に山体の中心があったようです。鳶山東方に広がる氷河堆積物の構成物(ほとんどが強溶結したアグルチネートの岩塊からなり、花崗岩類は含みません)や表面地形から推定される流下方向からそのように判断してよいでしょう。そこでは標高2,800mを優に超える山体が存在したと推定できます。第2期の火砕流については、五色ヶ原と室堂平の中間に噴出中心があったと考えるのがよいでしょう。なぜならば、龍王岳−獅子岳間の火砕岩の分布から、この稜線の西側に標高2,800mを超える山体が存在したことは疑う余地がありません。第3期については、室堂山の南方に噴出中心が存在したことはほぼ確実です。少なくとも山体は標高2,800mを超えていたでしょう。これらの各活動期ごとに噴出中心がそれぞれ異なるのか(第4期の火口群は地獄谷付近ですので、それ以前とは異なります)、それともほぼ同一地点であったのか、現在のところ判断できる根拠はありません。しかし、乗鞍火山列のほかの多くの火山のように(例えば、御嶽山、乗鞍岳)、活動期ごとに噴出火口の位置が移動し、ある方向性(例えば南北方向)を持って火口が配列したと考えるのがより自然だと思います。これらのことから、立山火山の噴出火口は、第4期の活動中心である地獄谷と鳶岳南の越中沢岳との間にほぼ南北方向に並んでいたと推定します。また、その南に分布するスゴ乗越安山岩(上廊下火山岩類の一部)の噴出火口もはっきりしませんが、このあたりかなと思われる地点、この安山岩の分布域の南東(上廊下の支流、スゴ沢)に岩脈があります。位置的にはこの安山岩を噴出した岩脈の可能性があったのですが、岩石が異なること、放射年代値が異なることからこの安山岩と直接の関係はないようです。しかし、その近くにまだ見つかっていない岩脈もあるはずです。どうやら、立山火山の配列した火口列の延長上にあったと考えてよいようです。以上のことから、火山活動の中心は南から北へ移動し、火口が南北に配列していたのではないでしょうか。


地獄谷周辺にはたくさんの爆裂火口があります。北西-南東方向に並んでいます。


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