立山火山の形成史

 立山火山を古い順に、第1a、1b、2、3、4期に分けました。1960年代にこの火山を調査した地質学者、山崎正男によって第1、第2、第3、第4期に区分されていましたが、この第1期の中には長い活動休止期間があることがわかったので、これをさらに第1a期、第1b期の2つに分けています。なお、先駆的な研究をおこなった山崎正男は、日本で最初に氷河地形を発見し、立山の山崎カールに名を残す地理学者、山崎直方(やまさき なおまさ)の四男です。なお、以下に述べる噴出年代はK-Ar年代測定法による放射年代値によりますが、これらのデータの多くはまだ暫定的なものですので、今後の検討や再測定により変更されます。


第1a期は湯川谷上流部(現在の立山カルデラ内)に分布する湯川谷火山岩類を構成する溶岩・火砕岩が噴出した時期です(22-20万年前)。これらがどこから噴出したか、その中心(噴火口の位置)はわかっていません。岩石は、一部を除いて強い硫気変質(硫黄による温泉変質)を受けており、ボロボロになっているところもあります。この火山岩類の下部は主に火砕岩からできていますが、花崗岩などの古い時代の岩石の破片(礫や砂)から構成される砂礫層が挟まることも多くみられます。これらの砂礫層は水の作用で運搬・堆積したとみなされるので、立山火山の活動開始以前にすでに凹地が存在しており、それを埋め立てて火山の噴出物が堆積したと考えられます。なお、立山火山の南方では、この時期にスゴ乗越安山岩と呼ばれる溶岩流がほぼ常願寺川まで流れ下っています。

第1b期は有峰トンネル溶岩・多枝原谷溶岩・水谷溶岩・鷲岳下部溶岩・材木坂溶岩・鷲岳上部溶岩及び中ノ谷溶岩の噴出期です(15-10万年前)。この時期の噴出物は現在の立山カルデラの縁の周辺に分布しますが、西方に孤立して材木坂溶岩が分布します(美女平と千寿ヶ原の間)。これらの溶岩流の噴出地点もよくわかりません。

第2期は称名滝火砕流堆積物とザラ峠溶結火砕岩の噴出期です。称名滝火砕流堆積物はその大部分が強溶結しています。立山カルデラの北から西にかけて広く分布しており、南東方の五色ヶ原にも分布しています。カルデラの南西方には分布していません。この火砕流の噴出中心もはっきりしません。また、カルデラ東方のザラ峠の南にわずかに分布するザラ峠溶結火砕岩もこの時期の噴出物であると推定しました。基盤岩からできている龍王岳-獅子岳間(立山と五色ヶ原の間の稜線)にはこれらに類似した火砕岩や氷河に関連した堆積物が分布することから、龍王岳-獅子岳の稜線より西側に標高2,800mを優に超す火山体が存在したのは確実です。

第3期は二ノ谷溶岩・松尾峠溶岩・美松平溶岩・国見岳溶岩・天狗山溶岩・玉殿溶岩の噴出した時期です(9-4万年前)。室堂山の南、現在の立山カルデラ内の北東部(龍王岳-獅子岳の稜線の西側)標高2,800-3,000mの位置に火口が存在したと考えられます。このステージの最末期の玉殿溶岩は、氷河に関連した堆積物(室堂礫層)を覆っています。

第4期は室堂周辺のミクリガ池や地獄谷などの爆裂火口群が形成された時期です(約4万年前以降)。この時期の堆積物としては地獄谷類質テフラ層と縞状硫黄堆積物があります。これらの堆積物が堆積したのは約1万年前より後なのですが、4万年前から1万年前までの間の火山活動については明らかではありません。地獄谷類質テフラ層には4層の火山灰が含まれており、完新世の地獄谷からの噴出物です。これらはミクリガ池礫層と呼ばれる氷河に関連した堆積物を覆っています。地獄谷では現在も温泉・噴気活動が盛んです。立山カルデラ内の刈込池や新湯もごく新しい時期に形成された爆裂火口の跡と推定されます。


A:室堂

B:称名滝

C:五色ヶ原

D:スゴ乗越

E:雲ノ平

立山火山と鷲羽・雲ノ平火山の間に上廊下火山岩類があります。Dから北東へ続く溶岩流は、とりあえず立山火山とは別の上廊下火山岩類としています。


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