6、 鉄穴流し (かんなながし)

 砂鉄が生まれる山に話しを戻しましょう。山砂鉄は川に流れ、それが海にまで流れていきます。砂鉄は重いので、川の曲がりくねった内側に貯まったり、浜辺に貯まったりします。特に、冬に寒い地方の花崗岩は雨風による風化が進みやすく、たたら製鉄に適した砂鉄を採取するには好都合です。山陰地方では昔、川には砂鉄を採るための「たたら船」が行き来していたそうです。
 しかし、江戸時代に大規模に大だたらの操業をするようになると、風化した花崗岩の山を人間がくずし、その土を川に流して砂鉄を採取する「鉄穴流し」が行われるようになります。砂鉄(磁鉄鉱)は花崗岩に含まれるほかの鉱物より重い(比重が大きい)ので、流れる水の中では砂鉄は流れにくく底に貯まりやすくなります。花崗岩の中には1〜5%の砂鉄がありますが、この砂鉄を採るために人工的に何段ものトイを作り、川から水を引き、そこに砂鉄を含む土を流すという、大規模な鉄穴流しが行われたのです。このように、重さの違うことを利用して鉱物を選り分けることを、比重選鉱といいます。
 花崗岩が硬くてくずせなかったところはそのまま残したので、鉄穴残丘(かんなざんきゅう)と呼ばれています。“真砂骨(まさぼね)”ということもあります。
 鉄穴流しによってできたといわれる地形(鉄穴残丘とそのまわりに広がる耕地)が奥出雲の各地に見られると書かれている本がかなりあります。しかし、地元の研究者に尋ねると、その中には、最初から耕地を作る目的で開発された場所が少なからずあるようです。鉄穴流しが行われたのは何しろ江戸時代中期以降なので、その時代や場所をきちんと調べなければ、かんたんには「奥出雲はどこも鉄穴流しによってできた耕地とか鉄穴残丘」とは言えないようです。



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