7、 小だたら製鉄
古くは全国的に行われていた製鉄も、江戸時代の中期以降は大だたら製鉄が盛んになり、奥出雲地方が圧倒的な生産量をほこるようになります。しかし東北では、南部鉄瓶(なんぶてつびん)で有名な岩手県の南部地方と呼ばれる所でもかなりの規模の製鉄が行われていました。南部地方も原料の鉱石や山林資源に恵まれていましたし、当時の盛岡藩主の南部氏の下で、製鉄と鋳物の生産に力が注がれました。
江戸時代に奥出雲では「企業たたら」が確立されましたので、大だたら製鉄の生産記録はきちんと残されていますが、小だたらの記録はほとんどありません。しかし、実際は全国のあちらこちらで行われてきたようです。その地域で手に入る砂鉄や褐鉄鉱なども使われ、さまざまな方法でたたら製鉄が行われていました。これらの事実は考古学の研究者によって日本列島のあちらこちらで発掘調査が進んでいます。また、それらの研究成果により歴史の見直しも行われています。
とかく「たたら製鉄」というと江戸時代の奥出雲にばかり目が行きがちですが、古代、中世、近世と通して製鉄法も変化しましたし、また、「自給たたら」として小だたら製鉄も同時に行われてきたことを忘れてはなりません。この小だたら製鉄でもズクを作る場合もありますが、なんと言っても直接、鋼を作ることが多いのが特徴です。これをむずかしい言葉で「直接製鋼法(ちょくせつせいこうほう)」と言います。
奥出雲では明治に入ってからも農民が冬の農閑期に小だたらで鉄をつくり、それを鍛冶屋(かじや)に持っていき農工具などを作ってもらったという話しが、今でも残っています。小だたらはだいたい1日あれば鉄が作れるような小規模なものです。人によって異なりますが、砂鉄は約30kg、炭は50〜60kgほど使い、4〜7kgのケラを作ります。炉の作り方、砂鉄などの鉱石の種類、炭の品質などによって収量や質は大きな開きがあります。
みなさんも、それぞれの地域の材料でたたら製鉄を体験し、人の歴史、地球の歴史に触れてみてください。また、貴重な古代製鉄の技術を後世に伝えて行きたいものです。
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