3.5 最近の出来事歴史時代の活動記録:鳥海火山には歴史時代の活動記録がいくつも残されており,日本でも噴火記録の多い火山の一つである.古記録では6世紀以降の噴火活動があるが,10世紀から15世紀にかけては記録が残されていない.古記録のうち信ぴょう性の高いものは9世紀以降,1974年の噴火を含めて12回程度である.10世紀から15世紀の間を除き,信ぴょう性の低い記録も加えた場合,10数年ないし150年の間隔で噴火が起こっている.なお,新山溶岩ドームは1801年に形成されているが,歴史時代の噴火はこの時の活動を除くと,ほとんどがマグマの噴出を伴わない水蒸気爆発と考えられている.新山形成以降は,1821,1834,1974年に噴火が記録されている.一般的に,鳥海火山の噴火は弱い噴煙の出現によって始まり,数日-数カ月後に爆発的噴火に至るらしい.
歴史時代の噴火記録として最も詳しい1800-1804年噴火(その間に新山溶岩ドームが形成された)については,以下のようにまとめられている.
“1800年12月に始まったとみられる噴火は,はじめは噴気または弱い噴煙を出すだけであった.山麓から爆発的噴火が確認されたのは,1801年3月末である.山麓で降灰が見られたのもこの時が最初と思われる.4月末,七高山の麓から荒神ヶ岳の麓にかけて幅約5mの火口列が生じ,その中の7,8カ所から噴煙を放出していた.その後,一時,噴火の勢いは弱くなり,活発な火口は西端の1つだけとなったが,7月に入り再度激しくなり,伏拝岳の東まで火山弾を放出するようになった.噴火は8月末に最も激しかったが,この時が新山溶岩ドームの出現に対応するらしい.その後も1804年までは噴煙現象が続き,ときどき爆発的噴火が発生した.1804年の地震の後,活動がやや活発になったようである.降灰は山麓から仙北地方(秋田県中央部)にかけてみられ,山頂付近での堆積は約30cmと思われる.火山岩塊は七高山から伏拝岳の外側斜面にまで分布した.千蛇谷に落下した最大の岩塊は100kg以上とみられる.1801年4月〜8月には周辺の鮎川,子吉川,白雪川,日向川,月光川で火山灰による汚濁や土石の流出がみられた.このため日向川,月光川では多くの魚が死んだ.特に被害の大きかったのは白雪川で,8月中旬少量の降雨の後大洪水となり,流域では田畑,家屋が泥に埋められ,河口には大石,大木が堆積したため,舟の航行が不可能となった.”象潟地震:マグニチュード7を超える象潟地震が発生した.1804年7月10日のことである.このような大地震はこのあたりでは700年以上起こらなかったらしい.震央は象潟沖数kmまたは鳥海山の南東麓に推定されている.最大震度は7であった.死者は約400人,全壊家屋約8000戸と記録されている.庄内平野北端の吹浦付近から本荘平野の南の仁賀保付近まで,鳥海山の西麓が最大2m隆起した.仁賀保町金浦付近では海が最大300mも後退したらしい.著しい噴砂現象が起こったことも記録されている.この地震により古象潟湖が陸化した.第6図は地震以前の古絵図の一部分である.
第6図:象潟地震以前の象潟の風景(部分:象潟町,蚶満寺所蔵) 最新の噴火:1974年2月から5月にかけて,東鳥海馬蹄形カルデラ内の新山や荒神ヶ岳の周辺で,規模の小さい水蒸気爆発が起こった.これは140年ぶりの噴火であった.降灰と,融雪による泥流が発生した.火口はほぼ東西に並んで形成された.泥流は少なくとも6回は発生し,最大到達距離は3-4km程度であって,山麓には達しなかった.4月には秋田県湯沢市や本荘市でも降灰が記録されている.幸い,被害はほとんどなかった.
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