3.4 3番目にできた火山(前のページから続く)
カルデラの形成・象潟岩屑なだれ(ステージIIIa/IIIb):約2600年前に,東鳥海の山頂付近で大規模な山体崩壊が起こり,北に開いた馬蹄形カルデラが形成された.これを東鳥海馬蹄形カルデラといい,七高山-行者岳-伏拝岳-文珠岳-蟻_ナ戸渡-稲倉岳に囲まれる凹地形である.この時の崩壊堆積物(象潟岩屑なだれもしくは象潟岩屑流と呼ばれている.かつては象潟泥流と呼ばれていた)には木片(埋もれ木)が含まれている.それらから得られた放射性炭素を用いた同位体年代値が数多く報告されており,2600年前とも3000年前ともされているが,ここでは2600年前としておく(その後,埋もれ木の年輪を調べることにより,紀元前466年であることがわかった).山体の崩壊量は3.5立方km(これは,1888年の磐梯山や1980年のセントヘレンズの崩壊量よりも大きい),岩屑なだれの流走距離は最大25kmに達した.セントヘレンズなどでは,新たなマグマの上昇が山体崩壊の原因であったが,この岩屑なだれでは新しいマグマが崩壊に関与していた証拠は見つかっておらず,崩壊の原因が噴火であるのか地震が引金となったのかはわからない.崩壊物の主体は北へ崩れ落ちた後,白雪川に沿って北西へ向きを変えて象潟平野へ広がり,先端は日本海に突入したが,一部は比高100mの谷壁を乗り越えて直進して由利原高原に堆積した(写真4).比高5-45m,長径10-400mの流れ山が300個以上認められる.流れ山の内部は,溶岩岩塊が細かく破砕されてはいるが,もともとは1つの巨大な岩塊であることも多い(写真5).この岩屑なだれの堆積によって,象潟平野では内陸にせき止め湖(象潟町本郷付近)が,海岸には潟湖(古象潟湖と呼ばれる)が形成された.1689年に象潟を訪れた芭蕉は,この風景を見て,“江の縦横一里ばかり,おもかげ松島に通ひてまた異なり.松島は笑ふが如く象潟はうらむが如し.寂しさに悲しみを加へて,地勢魂をなやますに似たり 象潟や雨に西施がねぶの花”,と奥の細道に残している.この潟湖は1804年の象潟地震による地盤隆起で干上がってしまった.現在では国の天然記念物に指定されている.なお,内陸に形成されたせき止め湖は,奈曽川から排水されて現在では消滅している.
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写真4:馬蹄形カルデラと流れ山 |
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山がくずれ,ふもとにはたくさんの流れ山ができた |
後カルデラ活動(ステージIIIb): カルデラ形成後はカルデラ内の中央火口丘が繰り返し活動しており,現在に至っている.新山・荒神ヶ岳付近を噴出中心とした溶岩の流出が続き,カルデラ底を埋積していった.1801年に形成された新山溶岩ドーム(直径300m,比高70m)は,ついにカルデラ縁(外輪山)の高さ2330mを超え,今では鳥海山の最高峰になっている.なお,新山形成以前には,その位置に東西に細長い“瑠璃の壷”と呼ばれた火口湖が存在していた.