はじめに

乗鞍高原から眺める冬の乗鞍火山
T:高天ヶ原,K:剣ヶ峰,M:摩利支天岳,F:富士見岳,D:大黒岳. 摩利支天岳山頂には国立天文台のコロナ観測所がある.

 乗鞍火山は,有史時代の噴火記録を持たないものの活火山と認定されている.日本の火山としては富士山,御嶽山に次ぐ高さ(3,026m)があるが,標高2,700mの畳平まで自動車道路が通じていて,わが国でもっとも容易に山頂に立つことができる3,000m峰である.明治時代以前,乗鞍岳は木曽御嶽や加賀白山と同様に,岐阜・長野県どちら側からも古くからの信仰の山であった.その名残をとどめる地名は山頂付近にも数多く残っている.明治に入ると乗鞍岳はスポーツ登山の時代を迎えた.やがて1941年,畳平付近に旧陸軍の航空研究所設立が計画された.岐阜県側で始まった道路建設は終戦までには完成し,この道路は1948年にバス路線となった.これが現在の乗鞍スカイライン有料道路である.これ以来,乗鞍岳には多くの登山客や観光客が押し寄せるようになる.一方,東の長野県側の道路が開通したのは1963年のことである.これは自衛隊による難工事であった.さらにこの道路がほぼ全面舗装に至ったのは,開通から16年後のことである(服部,1981).なお,乗鞍岳にはいくつものピークがあるが,その最高峰の剣ヶ峰は日本海と太平洋を分ける分水界の頂点である.

自動車道路が走る乗鞍火山の主稜線
中央やや右が畳平の駐車場(標高2,700m).その右が亀ヶ池(恵比須火口),手前が鶴ヶ池.それらを取り囲むように,手前右から中央奥へ,大黒岳−富士見岳−里見岳と続く.右奥には,平金溶岩からなる岩井谷沿いの平坦面が広がる.

 飛騨山脈上(北アルプス)には第四紀に活動した火山がいくつかある.これらは飛騨山脈の延び方向と同じくほぼ南北方向に配列しており,乗鞍火山列または乗鞍火山帯と呼ばれている.乗鞍火山列の主な構成メンバーは,北から順に,白馬大池火山,立山火山,鷲羽・雲ノ平火山,焼岳火山,乗鞍火山,御嶽火山と呼称されている安山岩質の複成火山(多輪廻成層火山)である.そのほかにも,黒部川上流域(立山火山と鷲羽・雲ノ平火山の間)には安山岩−デイサイトの小岩体群(上廊下火山岩類),御嶽火山の南西には湯ヶ峰流紋岩が分布している.また,槍ヶ岳南西を噴出源とする奥飛騨火砕流や焼岳西を噴出源とする上宝火砕流などのデイサイト質火砕流の噴出もあった.これらはいずれも前期更新世の後半以降に活動した火山である.それ以前の後期鮮新世から更新世の始めにかけては,大峰火砕流や丹生川火砕流・穂高安山岩類のほか,上野玄武岩類や地蔵峠火山岩類などの噴出もあった.しかし,乗鞍火山や御嶽火山に代表されるような安山岩質の複成火山の活動が卓越するようになったのは,およそ100万年前以降である.このような火山活動様式の時間的変遷は,沈み込む2つの海洋プレート(太平洋プレートとフィリピン海プレート)の相互作用によりもたらされたらしい(Shimizu and Itaya, 1993).
 乗鞍火山の最初の本格的な研究は,明治時代末の神津俶祐(1911)である.彼は御嶽火山(木曽御岳)に引き続いて乗鞍火山の調査をおこなった.そして乗鞍火山(群)を北から,十石火山・烏帽子岳火山・鶴ヶ池火山・摩利支天火山・一ノ池火山・高天ヶ原火山に区分し,火山活動開始以前から基盤が南北に連なる稜線をなしており,火山活動は北から始まり順に南に移動したと考えた.その後長い間,本格的な調査はおこなわれず,彼の火山体区分がそのまま踏襲されてきた.
 最近,地質調査所(現在の産総研地質調査総合センター)から5万分の1地質図幅「乗鞍岳」(中野ほか,1995)が出版された.これにより,神津(1911)とは異なった火山発達史が示された.その後,中野・宇都(1995)は乗鞍火山のK-Ar年代測定をおこない,火山発達史に時間尺度を加えた.ここでは,これらの成果に基づいた,新たな乗鞍火山の形成史を紹介する.

  

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