2000年11月
立山火山は北アルプスの北部、富山県に位置します。立山火山は“室堂山”(標高約2,670m)を最高地点とした活火山です。これまでは、立山火山には歴史時代の噴火記録はないとされたりあるとされたり混乱していましたが、1836年の水蒸気爆発が複数の古文書に記録されていることを確認しました(中野・伊藤,1998,火山,vol.43)。
立山三山(富士ノ折立、大汝山、雄山)そのものは火山ではありませんので、弥陀ヶ原火山と呼ぶ人もいます。立山黒部アルペンルートのケーブルカーの終点、美女平の西端(標高約950m)から高原バスが走っていく終点の室堂平(標高約2,450m)まで、下ノ小平・上ノ小平・弥陀ヶ原・天狗平など、数段に分かれた傾斜の緩い平坦面が東西約13kmにわたって続く高原地帯と、それとは孤立して、鷲岳(標高2,617m)・鳶山(標高2,616m)から広がる標高2,540mから2,330mの高原、五色ヶ原に大きく分かれます。前者は、基本的には火砕流が厚くたまって形成された台地ですが、その表層部のかなりの部分が火砕流よりも後の火山噴出物や氷河や融氷水流によってもたらされた堆積物に薄く覆われています。それに対し後者(五色ヶ原)は、主に溶岩流が積み重なってできた台地です。その表層部は弥陀ヶ原一帯をつくるのと同じ火砕流堆積物や氷河が運んだ堆積物に薄く覆われています。そして、両者の繋がりを裁つかのように断崖絶壁に囲まれた東西約6.5km、南北約5km の“立山カルデラ”が広がっています。砂防工事で名高い場所です。立山カルデラは、弥陀ヶ原一帯に広く厚く分布する火砕流が噴出することによってそれまでの山頂部が陥没した陥没カルデラである、と考えられていました。しかし、最近の研究では、立山カルデラは谷の源頭部が浸食や崩壊により拡大した浸食カルデラと考えられています。立山カルデラの名称はすっかり定着しているので、湯川谷上流部に発達する大規模な崩壊地形全体を表す地名として用います。このカルデラの発達(拡大)により立山火山の山頂部は失われ、もとの火山の山体を復元することは困難になっています。しかし、詳しい地質調査により明らかになった火山噴出物の分布などからは、標高2,800mを優に超える火口がいくつも存在したらしいのです。
現在の立山火山を特徴づけるものは、高原状の緩斜面や立山カルデラのほか、次のようなものがあげられます。まず、称名川の下刻作用です。室堂付近から火山体の北側を西流する称名川は、硬い溶結凝灰岩(堆積した火砕流が高温の熱により押しつぶされて固まってできた岩石)を深く浸食し、称名滝より下流では最大比高が500mに達する垂直の壁に囲まれた幅約1kmの広い谷が、称名滝より上流では谷底までの比高が200mを超える断崖絶壁が続く峡谷が続いています。称名川沿いには、称名滝、ハンノキ滝、不動滝、ソーメン滝のほか、悪城の壁などの急峻な地形が随所に見られます。次に、氷河作用です。火山活動と同時期に氷河の盛衰がおこりました。氷河が運んだ岩屑のほか、氷河が削ったU字谷(例えば、国見岳と天狗岳の間)や擦痕としてその痕跡が残っています。そのほかさまざまなことがおこっています。弥陀ヶ原には活断層が走っています。常願寺川の支流である真川をせき止め、大きな湖ができたこと(真川湖成層が堆積しました)、硫黄を噴出する地獄谷では縞々のある堆積物(地獄谷縞状硫黄堆積物)が堆積したこと、百数十年前に地震とともに大規模な山崩れがおこったこと(鳶崩れ)などでしょうか。
新雪の立山連峰夕照(右が雄山3003m、中央が大汝山3015m)。ここは火山ではありません。
この先、立山火山の形成史、その次にたくさんの風景を紹介します。